三八三 天保三年七月 西方村村法違反人詫書

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(西方須賀家蔵)

 【端裏書】

 「字神王院地先ニ而若者共被見逃候一件済口証文」

    入置申一札之事

一今般私共農業出先ニ而残暑難凌候ニ付、片時之間字神王院土手外杉林之内ニ而六七人相集リ世間雑談咄し、且腕押等相催し居候処江御村役人方為御取締、目廻リ先ニ而御目障リ相成、農業不出情之致方且御改革之御趣意ニも相背候ニ付、夫〻御取調可被成旨一同被申聞驚奉恐候、

                  留五郎

一質物之儀之従先〻 御改革之御趣意も厳敷無株ニ而質物渡世決而不相成旨被申渡も御座候処、其段心得違ニ而亡脚いたし懇意之ものより無拠被相敷、少〻之もの預リ置用立遣し候処、今般御差斗ニ預リ一言申訳ケ無之奉恐入候、此上入替ニ而も品物預リ金銭通用仕候義、見聞及ひ候ハゝ、何様ニも御取計可被成候、

                  安五郎

                  丑蔵

一私共両人之義は平日農業不出情之趣、略〻御聴達し候ニ付、此節右場所江立入哉之御疑を請御役宅江被呼寄、夫〻御利解被申聞候処、洒酔之上不斗立入候心得違之義申上、殊ニは麁言申上候始末今更後悔仕奉恐入候、

 右一件之もの共不残御取調被成、夫〻江御訴訟可被成旨被申聞一同驚奉恐入候、右様成行候而は一言之御答可申上様無之、一同歎ヶ敷奉存候間、安養院・東光院尚又当人共組合長左衛門・長五郎・孫右衛門右五人之もの相頼み心得違之一条、一向御詫申上候処、格別之御勘弁を以御聞済被下、当人共は不及申詫人一同挙而難有仕合奉存候、尤農業出情致し悪事之場所江立入申間敷旨被申渡、一同承知奉畏候、以来誰〻ニ不寄被申渡候旨亡脚いたし、若悪事ニ立入候義御聞ニ達候節は、此書付を以何様御取計被下候共、御恨みケ間敷義決而申間敷候、為後日仍而一札差上申所如件、

  天保三辰七月         次郎吉

                  代 喜兵衛(印)

                    与吉

                    善蔵

                    与八

                    山次郎(印)

                    冨三郎(印)

                    午蔵(印)

                    儀八(印)

                    安五郎(爪印)

                    粂次郎(爪印)

                    八五郎

                    留五郎(印)

                詑人 孫右衛門(印)

                同  長左衛門(印)

                同  長五郎(印)

                同  東光院(印)

                同  安養院(印)

   御村役人衆中