(「砂原松沢家文書」市史編さん室蔵)
乍恐以書付奉願上候
御領分武州埼玉郡砂原村名主福蔵同人忰満吉井百姓茂左衛門同人忰文吉奉申上候、去午年十月中右文吉儀御高札垣石際迄鍬を以理不尽ニうなひ起し候を福蔵見留、御場所柄之儀委細申聞差押候得共、不取敢却而高声ニ悪言申訇リ、右を満吉聞およひ早速欠附同人ゟも種〻申宥め差留候得共、不得止事前同様我意不法申募福蔵満吉儀ハ居宅江引取候跡ニ而千吉義、如何相心得候哉持参居候豆ノ木を御高札垣江投散シ候事故、満吉立戻リ差留説得ハ、満吉を理不尽ニ打擲いたし、同人ハ其場江相倒候ニ付右始末御訴奉申上候処、則為御検使与御出役被為在御糺之上文吉は入牢被仰付、満吉ハ福蔵方江引取療用手当可致旨被仰渡、然ル処文吉義入牢中病気ニ付其段茂左衛門組合并村役人一同ニ而御訴申上候得は、去月六日出牢之上右組合江御引渡村御預被仰付、其後同月廿四目御呼出ニ相成御吟味中手鎖御懸被遊江戸宿江御預被仰付一同奉恐入候、然ル処今般扱人立入内実篤与承リ糺候得は、去ル十月中文吉儀御高札場地続之畑うない起し罷出説砌、手造之諸生酒を呑酒狂之紛前後忘却右躰理不尽相働候段、今更発明仕全く心得違之旨相弁、同人親子一同ニ而扱人を以福蔵親子江厚相詑、已来御高札場地式之儀ハ先規之通リ相直し可申候筈、別紙詑証文福蔵方江取之、且満吉病気之儀も追〻快方ニ相成、尤左リ之耳ハ未タ少〻不相聞候得共、乍然今般茂左衛門ゟ相詑候上ハ福蔵親子方ニ而も憤リ相晴納得仕、此上共精〻薬用仕候得ハ平癒可致様存、然ル上は余病変症等御座候共、右一件ニ付双方共垂而御願ケ間敷義毛頭無御座、此上御吟味奉請候而は一同奉恐入候間、何卒以 御慈悲御吟味是迄ニ而御下之上、文吉儀ハ手鎖宿御預御宥免被成下置度、偏ニ奉願上候、以上
御領分
武州埼玉郡砂原村
名主福蔵忰
満吉
百姓茂左衛門忰
天保六未年正月 文吉
右 福蔵
同 茂左衛門
扱人 年寄 庄蔵
同御領分
同州同郡後谷村
同 名主 靖司
伊奈半左衛門御代官所
同州同郡荻嶋村
同 年寄 秀蔵
同御代官所
同州同郡大沢町
同 百姓 次左衛門
同 同 四郎兵衛
大岡主膳正領分
同州同郡末田村
同 名主 恒次郎
右惣代
同 同 靖司
右末田村中嶋金剛院煩ニ付代
同 役僧 栄隆
米倉丹後守様
地方御役所
前書之通地方御役所江御下願仕候処、願之通被仰渡候間、写を以銘〻為取替置申候、已上
未正月廿九日 右 満吉(印)
文吉(爪印)
福蔵(印)
茂左衛門(印)
秀蔵(印)
庄蔵(印)
靖司(印)
栄隆(印)