(七左衛門井出家蔵)
乍恐以書付奉願上候
武州埼玉郡七左衛門村百姓富之助ゟ訴上候は、右浅五郎義先月十三日隣村大間野村親類とも方迄用事有之、罷帰リ途中平岡対馬守様御知行所、村内字赤山道江通掛候処、同村百姓元右衛門忰実五郎、同儀左衛門忰市三郎右両人ニ行逢何余之遺恨有之候哉口論申掛、前書浅五郎疵受候次第ニ至リ候ニ付、右富之助ゟ御検使願上候処、御立会御検使与して御手附中様被遊御越、御調已前右実五郎・市三郎両人義当 御役所様江自訴仕候ニ付、入牢被仰付奉恐入候、然ル処今般扱入立入及懸合候処、右浅五郎義親類方ニ時疫有之、見舞与して罷越候心得ニ而酒給罷出、前書赤山道通掛候折節実五郎・市三郎義是又熟酔之上風斗出逢若気之至リ、不取留義より口論ニおよひ、酒狂之上相互ニ前後ヲ失ひ、□合ニ罷成浅五郎義躓転ひ、側ニ水菓子商人居合せ、西瓜立庖丁ニ而疵負候義ニ而、全市三郎外壱人之者共仕業ニは無之、素ゟ意趣遺恨等有之及争論候義ハ無御座、浅五郎疵所義も浅疵ニ而追〻愈【癒】寄、片輪勿論聊農業渡世之差障相成不申候ニ付、扱人ヲ以富之助方江只顧相詑、夫〻事柄相分候上は富之助方ニ而も憤リ相鎮ル、双方無申分熟談内済相整候間何卒以 御慈悲入牢被仰付置者共義御憐愍之上、療養中来ル十五日迄御日延被成下置候様一同連印ヲ以奉願上候、已上
武州埼玉郡七左衛門村
浅五郎代兼
天保八酉年八月 親 富之助 印
百姓元右衛門
忰 実五郎 爪印
同儀左衛門
忰 市三郎 爪印
右 元右衛門 印
同 儀左衛門 印
差添人
年寄 又右衛門 印
伊奈半左衛門様
御役所
宿馬喰町 伊勢屋 十兵衛
同 駿州屋 甚右衛門
此通りニ願下ケ書八月七日双方ニ而役所江出候、下ケニ相成候、