(七左衛門井出家蔵)
安政三辰年十二月
差上申場所書付之事
斎藤嘉兵衛当分御預り所
武州埼玉郡七左衛門村
百姓金蔵忰 金次郎
辰弐拾四才
同実五郎弟 伊之松
同三拾五才
同藤吉忰 万蔵
同四拾四才
同 和吉
同三拾六才
平岡石見守知行所
同村
同 卯之蔵
同弐拾六才
曾我猪之助知行所
同村
同 常吉
同四拾四才
小林藤之助御代官所
同州足立郡北原村
同 勝右衛門
同五拾五才
一金拾両弐分壱朱 一壺 壱ツ
一大黒銀 壱ツ 一琉球 壱枚
一古壱朱銀 壱ツ 一ごさ 壱枚
一銭弐拾八貫六百九拾四文 一紙烟草入 拾弐
一塞 五ツ 一真鍮きせる 拾本
一木綿紺腹掛 四ツ 一小袋 壱ツ
一財布 四ツ 一火打道具 三ツ
一胴巻 弐ツ 一小田原烑灯 壱ツ
一亀之甲腹掛 弐ツ 〆
右は今八日夜斎藤嘉兵衛当分御預リ所村内百姓常右衛門宅ニおゐて、右之もの共一同博奕致居候処御踏込被遊、前名前之もの共御召捕相成、私共一同御立会之上場所ニ取散有之候金銭其外相改候処、書面之通リ相違無御座候、其節於場所御非分成儀毛頭無御座候、依之場所書付奉差上候、已上
斎藤喜兵衛当分御預り所
武州埼玉郡七左衛門村
安政三辰年十二月 年寄 政七
同 儀三郎
曾我猪之助知行所
同村組頭 熊五郎
平岡石見守知行所
同村名主見習 熊五郎
関東御取締御出役
安原寿作様
乍恐以書付奉歎願上候
斎藤嘉兵衛当分御預リ所武州埼玉郡七左衛門村百姓和吉外三人、平岡石見守知行所同村百姓卯之蔵、曾我猪之助知行所同村名主八郎左衛門地借常吉、右六人之もの共儀当八日夜同村百姓常右衛門方ニおゐて成田講有之、酒狂之上右之もの共塞博奕相催候処、御手入ニ而御召捕ニ相成御吟味中ニ御座候処、当人共は不及申親族之もの共悲歎ニ罷在、何様ニ茂御慈悲之御沙汰右願呉候様私共江一同只顧取縋相歎候間、不顧恐奉歎願候幾重ニ茂此上 御憐愍之御取計被成下置度、連印ヲ以一同偏ニ奉願上候、已上
安政三辰年 斎藤嘉兵衛当分御預り所
十二月九日 武州埼玉郡七左衛門村
百姓 久蔵
同 多左衛門
【外名主年寄一二名、曽我猪之助知行所組頭百姓四名、平岡石見守知行所名主見習百姓六名、斎藤嘉兵衛御預所大間野村越巻村名主二名連記略】
関東御取締御出役
安原寿作様
前書之通リ私共一同御慈悲之御沙汰偏ニ奉願上候已上
斎藤嘉兵衛当分御預り所
同州同郡越ヶ谷宿
辰十二月 名主 幸左衛門
年寄 次郎右衛門
大沢町
年寄 弥平太
乍恐以書付奉願上候
斎藤嘉兵衛当分御預リ所武州埼玉郡七左衛門村役人惣代名主門平・年寄吉右衛門・政七・儀三郎奉申上候、当十二月八日夜村内百姓常右衛門宅ニ而、同村常吉外六人博奕相催居候処、御踏込御召捕ニ相成追〻御調被為在候処、去月廿七日夜茂同人宅ニ而同様右之もの共博奕致候段、右は私共儀平日心附方不行届候故右躰度〻博奕相催候次第ニ至リ、名主ハ別而儀一同奉恐入候、此上 御慈悲之御沙汰奉願上候、已上
斎藤嘉兵衛当分御預り所
武州埼玉郡七左衛門村
安政三辰年十二月 名主 八郎左衛門
同 門平
年寄 政七
同 吉右衛門
同 儀三郎
右役人惣代
名主 門平
年寄 儀三郎
関東御取締御出役
安原寿作様
差上申御請証文之事
斎藤嘉兵衛当分御預リ所武州埼玉郡七左衛門村百姓常右衛門親類杢左衛門、組合百姓民蔵、村役人惣代年寄儀三郎一同奉申上候、当月八日夜右常右衛門宅内ニ而同村常吉外六人之者共博奕致居候処、御踏込御召捕ニ相成、然処右常右衛門儀其節逃去見当リ不申候段申上候処、今九日ゟ尋方被 仰付候間、精〻心当リ先〻相尋有無共、来ル十三日 本多加賀守様御奉行所江可申上旨被 仰渡一同承知奉畏候、依之御請証文差上申処如件、
斎藤嘉兵衛当分御預り所
武州埼玉郡七左衛門村
百姓常右衛門親類
安政三辰年十二月 百姓 杢左衛門
組合 民蔵
役人惣代
年寄 儀三郎
関東御取締御出役
安原寿作様
差上申一札之事
武州七左衛門村常吉外五人博奕いたし候一件、再応御吟味之上左之通リ被 仰渡候、
一勝右衛門・和吉・万蔵・金次郎・猪之松儀は、七左衛門村常右衛門宅ニおゐて、同人外壱人手合ニ加リ廻リ筒塞博奕いたし候始末不届ニ付、一同重敲被仰付候、
但銘〻村役人共江御引渡被遊候共被仰渡候、
一七左衛門村名主年寄并惣百姓共儀、村内常右衛門宅ニおゐて同村常吉外五人手合ニ而廻リ筒塞博奕相催、其度〻常吉所持之銭差出し貸元いたし、てら又は元之子与唱手合之もの共ゟ銭受取候を、更ニ不存罷在候段心得方不行届、右始末一同不埒ニ付、名主は過料銭五貫文ツゝ、年寄共は同三貫文ツゝ、惣百姓共は同拾弐貫文被仰付候、
一常吉儀村方地内野田ニおゐて、名住所不存もの共手合廻リ筒塞博奕いたし、其上同村常右衛門宅ニおゐて同人并同国北原村勝右衛門外四人手合ニ而、前同様之博奕相催候節は、所持之銭持出し貸元いたし、てら又は元之子与唱手合之もの共ゟ銭受取候始末旁不届ニ付、遠嶋被 仰付候間其旨可存段 仰渡候、
右被仰渡之趣一同承知奉畏候、且過料銭は三日之内斎藤嘉兵衛様江可相納旨被仰渡是又承知奉畏候、若相背候ハゝ重科可被 仰付候、依而御請証文差上申処如件、
小林藤之助御代官所
武州埼玉郡北原村
安政四巳年 百姓 勝右衛門
閏五月四日 村役人惣代
百姓代 辰五郎
斎藤嘉兵衛当分御預り所
同埼玉郡七左衛門村
百姓 和吉
【外百姓二七名連記略】
御奉行所
差上申一札之事
私共儀村内常右衛門欠落いたし行衛相知不申候段、先達而御訴奉申上候ニ付、其砌りゟ茂日限尋被 仰付置候所、度〻日延之上不尋出段不埒ニ付、杢左衛門は過料銭三貫文被 仰付、八郎左衛門外五人は急度御叱被置候、
但常右衛門行衛は永尋被 仰付候、
右被 仰渡候趣一同承知奉畏候、且過料銭は三日之内斎藤嘉兵衛様江可相納旨被仰渡、是又承知奉畏候、若相背候ハゝ重科可被仰付、依而御請証文差上申処如件、
斎藤嘉兵衛当分御預り所
武州埼玉郡七左衛門村
同 杢左衛門
名主八郎左衛門
同 門平
年寄 政七
同 吉右衛門
同 儀三郎
同 富右衛門
右惣代
年寄 儀三郎
御奉行所
一札之事
当村百姓常右衛門宅ニおゐて、同村百姓常吉貸元ニ而廻リ筒塞博奕相催居候処、去辰十二月八日夜 関東御取締御出役安原寿作様御踏込私共御召捕ニ相成、御奉行所様江御差立ニ相成御吟味中、手鎖之上宿御預ケ被仰付、然ル処当五月四日重敲之上銘〻村役人江御引渡ニ相成、依之向後右躰不埒儀決而致間敷儀申之ニ付、私共江御引渡被成下度様申入候処、御勘弁之上御引渡被下忝存候、然ル上は以来右様之儀決而為致間敷、依之為後証親類組合一同連印、引取一札人置申処如件、
埼玉郡七左衛門村
安政四巳年閏五月廿六日 金次郎
親類 惣左衛門 印
組合 林右衛門 印
同 平次郎 印
同 亀松 印
同 善之助 印
伊之松
親類 利兵衛 印
組合 佐右衛門 印
同 友七 印
同 久左衛門 印
同 喜右衛門 印
万蔵
親類 藤右衛門 印
組合 丹次郎 印
同 次右衛門 印
和吉 印
親類 文次郎 印
組合 元吉 印
同 竹次郎 印
同 多左衛門 印
同村
御役人中