(市史編さん室蔵)
入置申一札之事
一我等姉れん義貴殿方江縁付置候処、家内差縺ゟれん実家半蔵并媒人小左衛門江相掛り、其筋江御出訴被成候趣ニ而、既ニ御支配御役所江右訴状御差出被成候義之処、今般扱人得与及掛合候処、れんは勿論半蔵外壱人ニおいても心得違之旨相弁、右は全れん義文左衛門同居家事向ニ差〓ハ自儘ニおよび候所、先非悔仕、依而はれん身分之義文左衛門所持字半蔵脇畑江別宅住居仕仏事回向等致し、老母おのぶどの存生中文左衛門方へ罷越候は勘弁相成、死後之上は心底相鎮候間今般御出訴之義御差置被下、右隠居相歎候所早速御聞済被下忝存候、依之れん夫食諸賄入用与して壱ヶ年米六俵金三両ツゝ文左衛門差送被下、然上はれん実子両人は文左衛門相当ニ他家江縁付可被下候、且同人方相談人之義其時義【宜】ニ寄取極申上候、れん其外のもの共聊故障申間敷候筈取極、向後れん義心得違之義仕、家事向の筋ニ不相成候義は勿論、出入立候義仕出候ハゝ加印のもの実家半蔵義引受、聊難渋相掛申間敷候、為後日連印一札差入申所如件、
慶応三卯年七月
武州埼玉郡大吉村
名主文左衛門継母
当人 れん 爪印写
同郡岩附領黒谷村
当人実家 半蔵
同向畑村
名主扱人 運八
同大吉村
同 七郎兵衛
同 半之助
同州大吉村
名主文左衛門祖母
のふ殿
同八条領青柳村
親類年寄
満三郎殿
同埼玉郡向畑村
親類年寄
文太郎殿