(『旧記弐』市史編さん室蔵)
戌年大水難困窮之事
一寛保二戌年七月廿七日ゟ八月二日迄雨ふり続キ申候、尤朔日之朝ゟ大雨降り八ツ過ゟ丑寅風にて、雨の降る事矢之ごとく、同晩四ツ時より辰巳風ニ成大風にて大木もたおれ、雨ハ桶よりまけることくニして二日之朝七ツ時より雨風しづかニ成、五ツ時より天気能三日之昼九ツ迄川通リ水少〻宛ますと云共、水にごらす九ツ過よりにこり水ニなり暮方ゟ水増ス事、見ル内ニ三四寸ツゝ土手通リ上置等致といへ共、次第ニ増水強く上置を押返し瓦曾根ゟ東方境迄神王院・山王様・東光院・金剛寺之寺中斗り残り、壱尺ゟ二三尺迄惣越ニ成三日夜九ツ時かなわぬといふて、土手通りにてさけぶ声かのなくことくにして村中之者宿江帰り家〻の仕廻ニ懸り候得共、惣越にて急水なれハ四日之朝六ツ時迄ニ山谷通りハ縁ゟ上江壱尺ゟ三四尺迄、藤塚ゟ本村根通リハ家〻之縁ゟ上江弐三寸ゟ弐三尺迄、田迎などハうす庭江少し揚ケ早速引候家四五軒有之候、四日八ツ時迄水少〻つゝ増候得共八ツ時過ゟ暮会【ママ】迄水定リ、五日朝迄ニ三四寸干方付申候、それまて天気能一日ニ五六寸宛干方見へ申候処、又八日之朝より天気悪敷同八ツ時より大雨にて七ツ時ゟ丑寅風大きニして雨の降る事以前ことく、又弐番水来ルといふて村中にて何かを直し用心する事三日之晩のごとく、されとも夜中風戌亥ニ返【変】り雨風ニ成り九日之朝ハ天気能く、庭ニて弐三寸増したる水も早速干方成安堵致申候、夫より段〻干方ニ成十五六日頃は何れの庭茂ひあがり申候、尤利左衛門方抔ニ而ハ四日之昼時不動尊様へ水あかり致し、旱物多キ故廿日時分迄逗留仕候事
堤通切所左ニ書記ス
一[長七間/横四間半/深九尺] 狭堤瓦曾根落圦上切所
一[長五間/横三間弐尺/深五尺] 溜井堤谷古田切下之方切所
右弐ケ所五日迄ニあらい切申候外ハ末〆切懸り有之候、
一[長六間/横三間弐尺/深四尺] 葛西圦上切所 一[長五間/横三間弐尺/深五尺] 同所下切所
一[長四間/横三間/深四尺] 同所下切所 一[長十壱間/横壱間/深三尺] 八条圦上欠所
一[長廿間/横壱間/深五尺] 同所下欠所 一[長廿七間/横壱間/深五尺] 挾堤欠所
一[長拾七間/横四間半/深同断] 同所下切所 一[長廿間/横四間半/深六尺] 同所下切所
一[長壱間半/横四尺/深三尺] 廻り堤欠所 一[長十三間/横弐間半/深五尺] 堂圦上欠所
右之通九日迄ニ不残水越し洗切ニ罷成候、尤十一日二日ニハ土手通リひあがり瓦曾根落圦斗りニ相成申候、依之大勢人足出し溜井松長拾間程之木ヲ切込上ゟそだなと切込築留申候故急ニ水干方付申候、
水中ニ相改り侯御廻状参着仕候ニ付、左ニ写置申候
一此度出水ニ付、其村〻之内飢人共へ所持之夫食給させ飢を救候百姓有之哉、左候ハゝ何日ゟ何日迄人数大概何程養候と申儀書附、其村百姓代壱両人ニ為持、来ル廿七日迄ニ無間違可指出者也、
八月廿四日 半左衛門役所
右之通御代官様ゟ御廻状相廻リ申候、何様飢人江たへ物遣候者有之候与御注進申上候ハゝ、能キ御事ニ茂可有之様奉存候事、扨又八月十七日御代官半左衛門様御家来篠原丈右衛門様村〻江御越し、水之様子段〻御尋床之上弐尺以上何程、床之上弐尺以下何程と、但男女人別之帳面御取被成御帰り被成候、其以後九月上旬ニ金拾両同中旬ニ六両相渡申候、其後村〻相談仕候ハ、先達而御見分之節御物語之様子ニ而ハ残金可有之候間、左之通リ人別帳相認メ御願可然と申合書付差上申侯、
覚
一家数合百拾四軒 西方村
此人別六百七拾九人
内四拾六軒水丈弐尺以下之分除く
残六拾八軒 此人別三百七拾七人 内[百九拾四人男/百四拾三人女]
此夫食米拾五石九斗三升
但壱日壱人ニ付男弐合女壱合同数三拾日分
右之外三才以下水呑之分除之
一何人内[何人男/何人女]たれ印
右之通村〻人別帳相認メ御願申上候処、左之通リ相直リ御代官様願書相納申候、
覚
惣人別六百七拾九人
一人別三百三拾七人 西方村
内百九拾四人男 但 [此米拾壱石六斗四升/ 八月廿七日ゟ九月廿六日迄日数/ 三十日分 一日米弐合ツゝ]
百四拾三人女 但 [此米四石弐斗九升/ 日数同断一日米壱合ツゝ]
合米拾五石九斗三升 但三拾五石ニ付四拾七両かへ
此石代永廿壱貫三百九拾六文七分
此訳
一人数何人内[何人男/何人女]たれ印 此米何斗何升
戌十月十八日
右之通人別帳相直リ相納リ申候、尤水呑之分除其後十月下旬ニ残金相渡リ銘〻小割仕候、尤村割之儀は惣人別之内老人小供等江茂割渡し申候、水呑除且又返上納之儀は無利足ニ而五ヶ年賦御代官様江御上納被仰付候事
一万歳平四郎様御知行所江ハ辻六郎左衛門様 小地頭方ヘハ何れへ茂御廻リ被遊候由ニ而御越し被遊、段〻御吟味之上飢人御尋ニ付惣人別三分二飢申候由書上候処、左程ハ飢人有之間敷由被仰候ニ付、細吟味仕人数半分之積リ書上候得は則御上へ御申立、日数廿日程過右人別へ金五両壱分被下置候、尤内割之儀は惣人別江割リ申候得は、其以後又〻御廻リ被遊弥飢人江斗リ割渡し候段小前帳其外、水之様躰書御取被遊候故割直し、家〻ニ而稼成兼候老人子供等江斗リ割渡し申候、尤無利足にて翌年ゟ五ヶ年賦伊奈半左衛門様江返上納被仰付候事
種子拝借之事
一畑弐拾八町三反三畝廿三歩 西方村
此麦種金拾三両壱分 [但シ反ニ付永四/拾六文七分五厘]
一田方百拾四町八反九畝拾弐歩
此籾種九拾壱石九斗壱升五合 但[反ニ籾八升ツゝ/両ニ壱石七斗かヘ]
右種子借リ相願候処則永合六拾七貫三百拾六文被下置候、右ニ三割之利足ヲ加江永八拾七貫五百拾文、翌年ゟ五ヶ年賦返納被仰付御上納仕候、
一私領万歳様分御取箇当戌年分米四拾俵相懸リ候内、弐拾俵ハ翌亥之御種子借リニ相成申候而、五ヶ年賦返納仕候、
村方小作之訳ケ
一右は名主年寄相談仕、早稲方ハ定之通リ中稲壱石之物成ハ三斗引、残七斗地主方江可済様ニ申付候、尤晩稲之儀は稲ニより地主小作人相対ニ可仕様ニ申触候処、小作人一同申合早稲中稲斗の人懸ケニ而壱反ニ付壱斗ゟ弐斗迄之積リ相済申候、尤歩刈等仕候者も何れ茂一同仕不足ニ相済申候、然レ共大変之事故何れ之村方茂其分と仕指置申候、尤翌亥年出来形宜敷可有之候哉田方入附小作人多御座候、依之其節残米取立申候者茂有之候得共、大変之事故其儀不宜敷事ニ候、勿論御公儀様御取箇当戌年米五石八斗三合永弐拾弐貫三百九拾四文被仰付候、