四一三 文化十三年三月 大沢町火災届

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(『火難御用留』大沢福井家蔵)

  乍恐以書付奉訴上候

日光道中越ヶ谷宿役人共奉申上候、昨七日暮六ッ半時頃武州埼玉郡四町野村百姓平左衛門方ゟ出火仕、南風烈敷風下ニ而当宿内大沢町へ火移、本陣・脇本陣・旅籠屋・問屋場其外共凡百六拾軒余類焼仕候、尤怪我人等有之候得共御継立之義ハ御差支無御座候、此段乍恐以宿継奉訴上候、以上

           大貫次右衛門御代官所

             日光道中越谷宿

 文化十三子年三月八日     問屋 喜兵衛

                年寄 半兵衛

              大沢町惣代

                年寄 弥右衛門

 道中御奉行所様

  乍恐以書付御訴奉申上候

越ヶ谷宿役人共奉申上候、昨七日夜六ッ半時頃町裏四町野村百姓平左衛門与申者方ゟ及出火、折節南風烈敷風下ニ而、御本陣・脇御本陣・御下宿等其外共凡百六拾軒余焼失仕候、此段乍恐以宿継奉訴上候、以上

              越ヶ谷宿

     子三月八日      問屋 喜兵衛

              御本陣

                 福井権右衛門

 東叡山

  御吟味所

    右弐通以宿継添書草加宿へ相送申候、

   乍恐以書付奉訴上候

当御支配所埼玉郡越谷宿大沢町役人共奉申上候、昨七日暮六ッ半時過町裏四丁野村百姓平左衛門与申者方ゟ及出火、折節南風烈敷大沢町之義風下ニ而本陣・脇本陣・旅籠屋其外共凡百六拾軒余類焼仕、尤怪我人等多御座候、此段以書付奉申上候、以上

            越谷宿

 文化十三子年三月八日   問屋 喜兵衛

            大沢町役人惣代

              年寄 弥右衛門

大貫次右衛門様

     御役所

右訴遠伝馬を以大坂屋次兵衛方ゟ為申上度候処、御出役山口与作殿草加宿出役罷在、右之段〻被為及御聞、八日夜御当着被成候、御宿うとん屋伝吉方止宿町絵図差上同月九日御見分有之候、









右は当月七日夜五ッ時頃四町野村百姓平左衛門方ゟ及出火書面之通類焼仕候処、為御見分被成御越、私共罷出御案内仕候所相違無御座候、以上

           日光道中越谷宿之内

             大沢町

  文化十三子年三月九日  名主代兼

                [問屋/本陣] 権右衛門

                年寄 利左衛門

                     印形焼失

                同  彦右衛門

                同  弥右衛門

                同  伊右衛門

                同  弥平太

  大貫次右衛門様御手代

        山口与作殿