四一四 文政元年十一月 旅籠屋類焼拝借一件

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(『御用留』大沢福井家蔵)

  御尋ニ付以書付奉申上候

一金百九拾八両      大沢町旅籠屋拝借

  此割賦

 金九拾九両        大旅寵屋拾五軒

  但壱軒ニ付金六両弐分永百文宛

 金六拾壱両三分弐朱    中旅籠屋拾五軒

  但壱軒ニ付金四両永百廿五文宛

 金三拾七両弐朱      小旅籠屋拾五軒

  但壱軒ニ付金弐両壱分弐朱宛

右之通旅寵屋四拾五軒家作拝借被仰付割賦仕候、尤大旅籠屋拾五軒之内脇本陣次相勤申候、大大旅籠屋三軒之者方江休株余金割合之儀伺上候処、潰株休株等も有之候ハゝ、右之分差加可貸渡旨被仰渡候ニ付、則割込拝借為仕候義ニ御座候、此段以書付奉申上候、以上

             大沢町役人惣代

  寅十月廿九日       問屋 権右衛門

 大貫次右衛門様

      御役所

   御尋ニ付以書付奉申上候

日光道中大沢町類焼仕候節、旅籠屋四拾五軒之者拝借奉願上候ニ付、名前書上方左之通御座候、

   所左衛門    安五郎     文五郎

   次左衛門    嘉兵衛     利八

 橘 権右衛門    甚八      利七

   藤左衛門    覚右衛門    新八

   弥平太     佐次右衛門   弥八

 米 長兵衛     伊兵衛     此吉

   権蔵      喜三郎     半蔵

   治助      嘉七      次郎兵衛

   惣四郎     弥兵衛     源蔵

   喜兵衛     政右衛門    又左衛門

   新兵衛     源兵衛     繁八

   猶次郎     清吉      清兵衛

   次郎右衛門   茂兵衛     兵右衛門

   甚兵衛   中 長兵衛     安右衛門

   長十郎     五郎左衛門   忠左衛門

 大〆拾五軒   中〆拾五軒   小〆拾五軒

 大中小惣合四拾五軒

前書之通名前書差出願上候処、御拝借金同年十月下旬ニ至御下金被仰付候節、半年余も相立候間右拝借人共之内、地主地所入用ニ付借地替仕候者も有之、且在方江引越候者又ハ家作足金才覚整兼休株二罷成、又ハ為見株等ニ相成候族も有之候ニ付、金子割合方左之通ニ相成申候間差引等之儀左ニ奉申上候、

一大旅籠屋之内藤左衛門義御拝借金割合之節、頂戴仕請取印形差上候得共、家作足金才覚仕候迄封金ニ致地主方江預ケ置申候、然処藤左衛門義去丑十二月中病死仕候、跡株之義追〻願出候者有之候、尤藤左衛門義ハ本陣向通ニ而 御勅使様 御名代様 御門主様等御旅舘之節下陣も相勤来候場所柄之者ニ付、是非宿内ゟ足金仕候而成共家作為致度奉存候間、願出候者へ申渡当時ゟ家作切組取掛リ罷在候、

一甚兵衛義大はたこ屋ニ書上候得共、中旅籠屋安五郎弥兵衛・喜三郎抔家作ゟ手狭ニ付、中旅籠屋之分金子相渡申候、

一長十郎義、前〻ゟ旅籠屋渡世致来候ニ付願上候処、同年九月中飴菓子問屋ニ罷成家作模様替仕、拝借金之儀は新規はたこ屋加入之者へ譲渡度旨相願申候、然処兼而大旅籠屋之内脇本陣代リも相勤候所左衛門・次左衛門・権右衛門右三人之者拝借人休株之者も有之候ハゝ、余分貸呉候様相願候ニ付、伺之上右長十郎分権右衛門忰太源次名所ニ而貸渡申候、

右大旅籠屋拾五軒之内甚兵衛分壱軒、中旅籠屋へ繰下ケ金子割渡候ニ付、永弐貫四百七拾五文相残申候、此分中はたこ屋拾五軒之処大旅籠屋ゟ壱軒繰下ケ、小旅籠屋ゟ壱軒繰上候ニ付拾七軒ニ相成申候、繰上候文五郎方江永壱貫六百五拾文相足し中之分割渡申候、其残永八百弐拾五文之義、御用宿定引請相勤申候忠左衛門方へ割込申候、依之大旅籠屋渡方之義拾四軒ニ相成申候、中旅籠屋拝借金割渡方之儀、拾五軒之外大旅籠屋之内ゟ壱軒繰下、小旅籠屋之内ゟ壱軒繰上候ニ付、合拾七軒分割渡申候、

一政右衛門義拝借金割渡請取候処、其後家内人少ニ罷成手廻兼候ニ付、当時家業為見合相休申度候間、右金子之義暫之間預ヶ金ニ差出申候間、封金ニ致預リ置申候、尤右株之義類焼後旅籠屋ニ罷成御用宿も出情相勤罷在候百姓伊兵衛へ譲渡之義願出居候得共、未出入中之義ニ御座候間割渡不申候、

一五郎左衛門義年来旅籠屋渡世致来候ニ付、座敷向家作足金之義才覚相整候迄為見合候ニ付、普請ニ取掛候迄封金ニ仕、地主方江預ケ置申候、

一文五郎義小旅籠屋ニ書上候得共、中旅籠屋之内茂兵衛・源兵衛・長兵衛等同様之家作ニ付、中之分ニ相成小旅寵屋拝借金弐両壱分永弐百廿五文江、甚兵衛分残永弐貫四百七拾五文之内、永壱貫六百五拾文相足し、都合永四貫百弐拾五文割渡申候、

小旅籠屋之義拾五軒書上申候内、壱軒文五郎と申者中旅籠屋江繰上候ニ付、残拾四軒江割渡申候義、左之通御座候、

一源蔵義旅籠屋渡世致来候ニ付、座敷向家作足金才覚相整候迄為見合候ニ付、普請ニ取掛リ候迄封金ニ仕地主方江預ケ置申候、

一清兵衛義商売替仕度依之休株ニ相成候間、外〻へ譲渡呉候様願出候、此分大大旅籠共之内次左衛門忰安次郎名前ニ而割渡貸遣申候、

一兵右衛門義独身ニ罷成渡世相成兼、東方親類共へ引越申候ニ付潰株ニ相成申候、此分大〻旅寵屋共之内所左衛門忰秀次郎名前ニ而割渡貸遣候、

一安右衛門義未家作も不仕、大工稼罷歩行候得共、此分休株ニも相成申候ハゝ類焼後旅籠屋ニ罷成、御用宿も出情相勤渡世仕候重助と申者、願出居候へ共未出入中之義ニ御座候間割渡不申候、

一忠左衛門義長屋向家作商売致居候得共、座敷向家作足金才覚相整普請ニ取掛候ハゝ可請取旨ニ付、封金ニ仕地主方へ預ケ置申候、尤右之者儀ハ前〻御用宿定引請ニ而臨時差掛リ等之節も相勤候者ニ付、大小劣リ合残永八百弐拾五文差加へ、永三貫三百文割渡申候段相違無御座候、

右之通大中小四拾五軒江割合候処相違無御座候、尤休株潰株等之義前書之通ニ御座候処、類焼以前ゟ当町ニ住居罷在、類焼後手広ニ家作仕旅籠屋渡世相願候ニ付、家作之儀見届仕旅籠屋申付候者左之通御座候、尤拝借願上候節之名書ニ相洩候者ニ御座候得共、休株等之者ニ引替跡株奉願上候者ニ御座候、

  中旅籠屋    百姓旅籠屋   伊兵衛

  同断      同断      嘉右衛門

  同断      権右衛門地借  重助

  小旅籠屋    五郎右衛門地借 喜左衛門

  中旅籠屋    弥次兵衛地借  長八

 右之通伊兵衛・嘉右衛門・重助・喜左衛門ハ子五月中願出、長八ハ子十一月中願出居候得共、大小旅籠屋三軒江割込猶又其余為見合株等之儀、休株と申ニも聢与治定不仕候、然処休株少く跡株願出候者多候ニ付、是又伺之上御下知可奉請存居候処、所左衛門義駈込訴仕候義も有之間、割渡方差控申候内長八義当寅八月中不届之義有之、中追放御仕置被 仰付候、外四人之者共義ハ類焼後手広ニ家作仕、旅籠屋渡世御用宿等も無滞相勤居候者共ニ御座候間、何卒 御慈悲を以休株跡名所之義、政右衛門分伊兵衛、安右衛門分重助江譲渡、并為見合株之内源蔵分喜左衛門・五郎左衛門分嘉右衛門江引替リ被 仰付被下置度奉願上候、尤忠左衛門義当時商売仕候而、金子才覚整次第、屋敷向家作ニ取掛リ候段、此義も一同御聞済被成下候得ハ、難有仕合ニ奉存候、猶御尋之儀ハ乍恐以口上可奉申上候、以上

            大沢町役人惣代

 文政元寅年十一月十日   問屋 権右衛門

大貫次右衛門様

     御役所