(『旧記五』市史編さん室蔵)
文政三辰年六月
御代官吉岡次郎右衛門様ゟ、村方困窮人江御手当金被下置候事
右は当村方小前百姓之内小供大勢有之難儀致候者、又は病身独身ニ而不自由致候者、或は片わニ而農業等茂出来兼難儀之者共、夫〻難儀始末家別ニ小前帳ニ認メ書上窮民御救御手当願上、勿論地借店借無高之者ハ御公儀様江御奉公無之者之由を以決而御手当無之、譬ハ高五石七石所持致候共其難儀之品ニ寄御救金被下置、当村方ニ而金四両壱分家数十七軒江左之通被下置候、
金壱分弐朱 権左衛門 金壱分 此右衛門
金壱分 孫市 金壱分 藤蔵
金壱分 五兵衛 金壱分 彦左衛門
金壱分弐朱 助七 金弐朱 いよ
金弐朱 庄右衛門 金壱分 平吉
金壱分弐朱 久左衛門 金壱分 庄兵衛
金弐朱 佐七郎 金壱分 伝左衛門
金壱分 喜兵衛 金壱分 茂左衛門
金壱分 礒八 都合拾七軒