四三五 享保六年十月 大聖寺御朱印除地書上

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(『旧記弐』市史編さん室蔵)

   享保六丑年

     御朱印地除地御糺ニ付書上

 御朱印地           武州八条領西方村

一高六拾石            真言宗 大聖寺

   此反別拾壱町三反四畝拾三歩

    内[六町六反三畝九歩  田方/四町七反壱畝四歩  畑方]

   右之外

 御除地

一弐町六反九畝九歩   寺中

      此わけ

      八反弐畝拾歩     西方村 大聖寺

      弐反三畝六歩         神王院

      弐反弐畝三歩         利性院

      三反五畝分          東光院

      四反六畝廿歩     東方村 安楽院

      弐反壱畝廿歩         薬王寺

      弐反九畝拾歩         観音寺

      九畝歩            玉蔵院

 安楽院・薬王寺・観音寺・玉蔵院、右四ヶ寺之儀は私領東方村ニ有候間、人別之儀ハ東方ゟ阿部豊後守様江書付指上申候得共、御除地面之義ハ豊後守様へ書付差上不申候ニ付此度書上申候、右之外人別書上申候、尤外寺院ハ御年貢地故町歩ハ書上不申候、右は当村ニ有之候寺社方江町歩人別之儀御尋ニ付、何方へ何様へ書上候哉之分ヶ拙者共方ゟ右寺社方へ承合候処、町歩人別之儀外江書上候儀無之由ニて、此旨書付指出し被申候ニ付書面之通書上申候、尤随分念入申候ニ付洩候分又は二重ニ書上候儀無御座候、為其名主年寄印形仕差上申候、以上

            八条領西方村

  享保六辛丑十月      次郎左衛門 印

               平内 印

               藤左衛門 印

               利左衛門 印

               重左衛門 印

               佐五兵衛 印

               又右衛門 印

               甚五兵衛 印

  伊奈半左衛門様御家来

     中村四郎兵衛殿

 右は御支配ゟ御糺成候事故、右之通丑十月廿一日差上候控如斯印し置、尤山谷利左衛門旧記帳ニ控有之故写之置候、