(『旧記弐』市史編さん室蔵)
享保六丑年
御朱印地除地御糺ニ付書上
御朱印地 武州八条領西方村
一高六拾石 真言宗 大聖寺
此反別拾壱町三反四畝拾三歩
内[六町六反三畝九歩 田方/四町七反壱畝四歩 畑方]
右之外
御除地
一弐町六反九畝九歩 寺中
此わけ
八反弐畝拾歩 西方村 大聖寺
弐反三畝六歩 神王院
弐反弐畝三歩 利性院
三反五畝分 東光院
四反六畝廿歩 東方村 安楽院
弐反壱畝廿歩 薬王寺
弐反九畝拾歩 観音寺
九畝歩 玉蔵院
安楽院・薬王寺・観音寺・玉蔵院、右四ヶ寺之儀は私領東方村ニ有候間、人別之儀ハ東方ゟ阿部豊後守様江書付指上申候得共、御除地面之義ハ豊後守様へ書付差上不申候ニ付此度書上申候、右之外人別書上申候、尤外寺院ハ御年貢地故町歩ハ書上不申候、右は当村ニ有之候寺社方江町歩人別之儀御尋ニ付、何方へ何様へ書上候哉之分ヶ拙者共方ゟ右寺社方へ承合候処、町歩人別之儀外江書上候儀無之由ニて、此旨書付指出し被申候ニ付書面之通書上申候、尤随分念入申候ニ付洩候分又は二重ニ書上候儀無御座候、為其名主年寄印形仕差上申候、以上
八条領西方村
享保六辛丑十月 次郎左衛門 印
平内 印
藤左衛門 印
利左衛門 印
重左衛門 印
佐五兵衛 印
又右衛門 印
甚五兵衛 印
伊奈半左衛門様御家来
中村四郎兵衛殿
右は御支配ゟ御糺成候事故、右之通丑十月廿一日差上候控如斯印し置、尤山谷利左衛門旧記帳ニ控有之故写之置候、