四三七 安永九年九月 瓦曽根照蓮院記録帳

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(瓦曾根照蓮院蔵)

 【表紙】

 「 安永九庚子年

  起録帳

   九月吉日  慈氏山 照蓮院」

  乍恐書付を以奉願上候

一此度八条領瓦曾根村照蓮院何法印致隠居候ニ付、惣門旦相談之上、何村阿院後住ニ先規之通り御聞済被下成候様ニ願上候、被為仰付被下置候ハゝ難有奉存候、以上

  年号 月日    惣門末中 連印

           旦中惣代 弐人印

     金蓮院様御役者中

 

  葛西金町金蓮院継目御祝儀事

一白銀三枚  御院主様  一御菓子代 百疋

一転衣御祝儀 同断    一御樽代  同断

一玄関房主三百文つゝ弐人 一帯刀  弐百文つゝ弐人

一道心  百文壱人    一下人  百文つゝ人数

  右之通御座候、

   添翰

一武州八条領瓦曾根村照蓮院住、隠居仕候ニ付、後住之儀、同国同領何村何院寺相応之人躰ニ御座候故惣門檀以連印相願候間、右願之通申付候、依之継目御被為 仰付候ハゝ難有奉存候、為其如此候、以上

   年号 月日    葛西金町

              金蓮院 印

  真福寺御役者中

一色衣願之義ハ檀林所之添翰取之可願出事

一旦林所江添翰願之祝義ハ青銅三百文可致持参候、

   真福寺継目祝儀

一院住江 金弐百疋   一役者へ 金百疋

一取次へ 金弐百朱

   色衣官金之事

一黒衣より香衣着用不致時、金七両弐分銭八百文

一黒衣より香衣并浅青着用之節ニモ、官金右同様七両弐分八百文、但シ香衣ゟ浅青着用時ハ金壱両弐分銭八百文也

 此義ハ黒衣ゟ直ニ浅青之寺格ニ居【移】転候節ハ、直ニ弐色願ニ仕候故金七両弐分八百文ニ而相済候、然所前〻香衣ヲ着用いたし、後〻浅青願候節ハ七両弐分ノ外ニ、壱両弐分之除官金ニ差出申候、依之願者弐色一同ニ願候へは一両弐分ノ徳也、

一嶋金剛院へ年始、先規ゟ三本入扇子箱壱ツ、島ゟも三本入使僧持参ニ候、

   起立書之事

武州埼玉郡瓦曾根村照蓮院香色 或ハ何[壱/弐]色起立

一開基   不分明    一御朱印  五石

一御代官  何之誰    一本寺葛西金町村金蓮院

一法流相続 末寺壱ヶ寺門徒拾壱ヶ寺

一豊山留学 何年初法談相勤申候、

一法﨟何年 世寿何年   一仮名 実名

 右之通リ相違無御座候間、香衣一色御願奉申上候、以上

   年号 月日

          武州埼玉郡瓦曾根村

               照蓮院 判

 真福寺様御役者中

  起立書之事

当門末住職之節

一何国何郡何領何村何右衛門忰ニ而

一同国同郡村何寺弟子

一仮名何 実名何

一是迄何国何郡村何寺住職仕候

一田舎何ヶ年  初法談相勤之 或ハ不勤

一本山[小池坊/智積院]留学何ヶ年

一何国何郡村何院ニ而伝法灌頂相勤之

一法﨟何ヶ年  世寿何歳

 右之通リ相違無御座候間、住職為仰付被下候様奉願上候、以上

        国郡村 何院 印

   年号月日

  照蓮院様御役僧中

   一札之事

一拙僧今度何院寺ニ住職仕候ニ付可相守条〻

一御本山御条之通り違背仕間敷事

一当山出仕之座階は、如旧格上﨟之可任差図ニ事

一門末移転之節ハ御本寺ゟ御眼鏡次第違背仕間敷事

一自坊修覆無油断可仕事

一境内ニ有来り候竹木猥ニ伐取申間敷事

一寺附田畑并祠堂金什物等請取候通リ、後住紛失無之様可仕候て、後住江相渡可申事

一諸浪人并三笠博奕之宿不可致事

一不依何事門末徒党ケ間敷義仕間敷事

 右之通一ヶ条ニ而も違背仕候ハゝ如何樣之御科被仰付候共、御恨ミ申上間敷候、為其加印一札如件、

   年号月日     何村

               何院寺

             受人

               何院寺

             受人

              其村〻ノ役人 印形

    照蓮院様

     御役者中

   以書付御訴奉申上候

一武州埼玉郡瓦曾根村照蓮院住【演瑞(見消し)】法印儀、病気之所、去ル廿三日養生不相叶被致遷化候ニ付、御届ヶ申上候、尤後住門檀相談之上取執候次第御願可申上候、依之以書付御訴奉申上候、以上

            国郡村名旦方惣代

   寛政四子年十月       五郎左衛門

                 政右衛門

            門中惣代 弘誓寺

   照蓮院住死去引導師之事

一引導儀は、東福寺引道【ママ】致申候、若東福寺無住ニ候ハゝ、其時之上座之可致事、金町金蓮院ハ七日之内以使僧、其時之納物ヲ持参致申候、本寺江之廻向料ハ金三分也、随身江弐百文ツゝ、右之通使ニ持参可為致候、

   往来一札

一拙寺弟子何と申者、此度諸国為修行罷出候、御関所無相違御通セ可被下候、若此者何方ニ而も病死仕候ハゝ、其所以御慈悲ヲ御仕舞可被下候、為其仍而如件

            武州埼玉八条領瓦曾根村

   年号 月日          照蓮院 判

  諸国御関所

   御奉行

一金町金蓮院年始之義ハ、此方よりも使僧ニ而相勤申候義先礼【ママ】ニ御座候、本寺為御祝儀壱貫三百文指上申候、従本寺も此方へ御使ニ而被参申候、

  稲荷大明神

一二月初午毎年加【嘉】例ニ而、御酒として洒壱本ツゝ買申候而、氏子中江振舞申候、

             世話人 武左衛門

             同   新六

一御朱印御懸替十月三日、大沢町喜兵衛宅ニ而、御代官辻源五郎殿より相渡し申候、其節本寺よりも差図ニ而、触頭真福寺迄も相届ケ申候、以上

 其節御代官御旅宿迄御先判持参、御改少〻御座候、為後日致置申候、

  申極月廿日

一諸国一統、直触之寺院住職更【交】代之儀ハ、於役寺世寿法﨟器量学徳等其寺相応之相撰、住職可申付候所、畢竟配下之寺院移替節、門末之取計就及異論吟味不行届節は奉行所江差出候、従役寺不相応之致方不埒ニ付、向後右躰之儀無之様ニ申合可念入旨御奉【行欠】所より被仰渡候、然所ニ是迄直触之寺院、更代之節触頭江も不願出、先住本末等熟談上、住職相済候而届出候寺院も間〻有之候、右躰ニ而ハ於役寺吟味も不行届不念ニ相成候間、以来移替節は先〻住寺例先住門末等熟談之上、住職人躰起立書を以可被願出候、但其本寺或ハ領主地頭ニ而住職申付候寺院ハ、其領主地頭江差出候住職請書・人躰・起立書写・印鑑等相済其触頭へ可被差出候、但遠国小寺等直参難成寺院使僧或ハ使札を以成共、右之通可被願出候、以上

 子十一月  触書写

   公方様御礼之事

 武州埼玉郡瓦曾根村照蓮院、去ル卯年惣礼相勤、当年五ヶ年目、献上三本入扇子愛宕真福寺触下

    【貼紙】「公方明和戌年ニ勤、又卯年ニ相勤」

            江戸宿 何屋何左衛門

一正月四日ニ出府仕候、五日ニは真福寺江着届院住江三百文、役者江弐百文、取次へ百文持参可致候、月番へ弐百文―百文持参可致候、寺社奉行江ハ壱銭も不入

 右之通りニ切紙ニ而書付持参いたし可申候、六日御城江御礼、又〻御礼首尾能相勤候段、右三ヶ所へ相届候様ニ四ヶ寺ゟ申付候へ共、此義ハ廻江は及不申候、

一高雄山金泥両部、大曼荼羅修補勘物、本寺惣門末ニ而金弐歩真福寺江致持参申候、

    安永九子九月

一弘法大師九百五拾回忌ニ付本寺ニ而水丁【灌頂】修行ノ勘物料金弐歩真福寺江持参いたし申候、同高野山明王院へ金壱歩道シ申候

    天明三卯年十月

   檀林所江色衣願之起立案文之事

   奉願色衣起立書

一開基  不分明    一御朱印  五石

一御代官 飯塚常之丞殿 一本寺 葛飾金町村金蓮院

一門末  拾弐ヶ寺   一法流相続初法談相勤候、

一小池坊留学何十年   一法﨟何十年

一仮名〻〻       一世寿何拾歳

 右之通相違無御座候間、如先格香衣浅青色二色御免許被成下候様奉願上候、以上

  天明七未四月        照蓮院

   真福寺様

     御役者中

 右之通相違無御座候、御添簡奉願上候、以上

               照蓮院

   金剛院様

     御役僧中

             以上中山□江書上

 触頭真福寺江継目之節願書之案文

  以書付御届申上候

武州金町金蓮院末、瓦曾根村照蓮院心澄病気ニ付隠居仕、後住之儀門旦熟談之上拙僧江相願候処、願之通住職被申付、依之先格之通御届申上候、御聞済被成下候ハゝ難有仕合奉存候、以上

             武州瓦曾根村

  天明七未四月       照蓮院 印

                   実名 判

   真福寺様

     御役者中

  一余三箇寺継目祝儀料員数覚

一五拾疋     御院家

一三拾疋 弐拾疋 役者

一弐拾疋 拾疋  取次

右之通三ヶ寺銘〻音物持参ニ而相廻リ申候、先年之例無之候処、近年御触通リニ而翔斯被申附候、惣〆三ヶ寺ニ而銭三貫文支度可致候、

    門末継目祝儀物定

一金壱両    継目料 一金壱歩【分】 菓子料

一樽      壱荷  一五本入扇子  壱つ

一三百文弐人前 随身  一三百文    小性【姓】弐人

一百文宛    家来三人

    以上 末寺

一金壱分   継目料  一五百文    菓子料

一樽     壱つ   一弐本入せん子 壱つ

一弐百文   随身弐人 一弐百文    小性弐人

一百文    家来三人

右は今般本寺門末相談之上、門中移転継目祝儀物相定申処少も相違無御座候、依之一同連印仍而如件、

  天明八年戊申十月

                東福寺(印)

                蓮乗院(印)

                観音寺(印)

                東光院(印)

                金剛寺(印)

      [当申ノ十月/  印形改]     福寿院(印)

                西円寺(印)

                円蔵院(印)

                薬王寺(印)

                弘誓寺(印)

                最勝院(印)

                光明院(印)

当丑正月四日出府御礼、六日明六ッ時、五日触頭届并月番寺社御奉行所、六日御礼仕舞又候触頭御奉行所月番御礼相済候由相届罷帰申候、

一御触頭真福寺大破ニ付建立助成金先例之通、本末ニ而金壱両壱分ニ候、金壱両当時納置候、

一三宝院灌頂御祝儀として先例之通、金壱両弐朱相納候、

一去丑年触頭愛宕真福寺大破、触下一統勧化先例ニ任先規之通本末共致勧納呉候様役者を以被申達候、則本末ニ而金壱両相納候、尤先例壱両壱歩、是ハ鑁慶僧正之【下欠】