四三九 寛政七年十二月大聖寺東照宮建立由緒書

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(西方大聖寺蔵)

  武州埼玉郡大相摸大聖寺一山惣鎮守

  東照宮御建立之訳

一拙寺本尊不動明王は、良弁僧正之彫刻相州大山不動尊同木同作ニ而、霊験無双之尊像ニ御座候、

 権現様御鷹野之砌拙寺江被為遊 御立寄、住持定伝江本尊之由来被遊 御尋候所、委細申上候得は被為遊御感心、天下泰平之御祈禱被 仰付、天正十九年辛卯十一月定伝被為遊 御召寺領六拾石御寄附被成下、并此節大聖寺之寺号被下置候、依之天下安全之御祈禱無怠慢勤修仕候而、正月六日隔年ニ 御祈禱之御巻数献上之仕独御礼奉申上候、

一慶長五年 権現様下野国小山ゟ御帰陣之節、拙寺江被為遊御止宿、関ヶ原御陣為 御立願白鞘 御太刀一腰[長弐尺八寸/五分 無銘]不動尊江被為遊 御納、時之住持定伝并寺中六坊打寄御祈禱昼夜奉抽丹誠候所、関原御陣御利運之御日限ニ相当、御祈禱護摩壇上ニ不思議之御吉瑞御座候由代〻申伝候、依之先年ゟ於境内権現様御宮建立仕、御奉納之御太刀社内ニ奉納御神躰与仕一山惣鎮守与奉崇敬候所、延宝六年戊午六月 巖有院様御代知足院尊如僧正江御祈禱被為仰付之砌、拙寺先住観如義茂一同 御祈禱相勤候所、右御願御成就、従 巖有院様御金拝領仕御宮再建立仕 尊容奉安置候、依之 尊容御裏書写并御寄附物別紙ニ奉差上候、以上

            武州埼玉郡大相摸

  寛政七乙卯年十二月     大聖寺(印)

 真福寺

  御役者中