四六〇 年月日不詳 平田篤胤書簡

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(越ヶ谷山崎家蔵)

【上欠】参らせ、さて玉だすきを清書のとき篤利がかく云るハ誠に然る事也とて古書を引て註し、御名を国中にかゝやかさんといふ下がまへにて致し候事ニ御座候、能〻寸志を御勘考可給候、殊にハ春御出之節入御覧、かつわけを申候所御得意之事故、既に是を付て公儀へもさし出し有之、其上板もミな出来候上にてか様の御俗言何とも当惑ニ存候、学問にハをやづらに御座候へ共、内実ハ子の心得にて居候ヘバ、親とたのむ貴老の外聞ニかゝることハ致し不[ ]目なし共は[ ]誠に【下欠】

  〔註〕文化十五年一月カ