四七一 年月日不詳 平田篤胤書簡

943~944/1009ページ

原本の該当ページを見る

(越ヶ谷山崎家蔵)

【上欠】あまり/\御苦労ばかり御きかせ申候故またうれしき事を御きかせ申候、本庄の津軽様よりこうしやくニ出てくれろと申込ミ有之候、これ甚夕吉事のわけ御座候

○公儀御目付のはきゝ内藤周防守様より古学の趣意をかき出し候様ニとの事故認メ出し候、是大吉事ニ御座候、其後いまだ御沙汰ハ無之候へどもありがたき事に御座候、

○今年か来年の内に公方様へ御目見被仰付可申と彼是より取持申上候由も承り伝へ候、是も出来可申と存候、

○水戸様・越中様・はなハ・林大学様其外きゝ道の所〻にても当時平田ほどの学者ハないとて開題記の評判誠ニよろしく御座候、弟子内でほめることハひいきにもあれど、右之所〻にての評判は誠ニ天下のよき評判ニ候故うれしく存候、すべてケ様ニ評判【下欠】

  〔註〕文政元年暮カ