(越ヶ谷山崎家蔵)
【上欠】様子ハ先日宅へ御出被成候由ニ候ヘバ御聞可被下候、其後段〻に京中之学者も帰伏いたし、殊に雲上ニハ御評判よろしく、禁庭ニハ公家衆方富小路様ニ御逢被成候とハ我等事を御ほめ御尋被成由ニ御座候、富小路様とハ真はしら序文を被遊被下候御公家様ニ御座候、是人ハ度〻参上いたしいつも殊之外之御馳走ニて難有きこと可申様なき事共ニ御座候、其外御公家様方ニもあまた御目ニ懸り御懇命を蒙り、夫〻御執持にて禁裡様・仙洞様両方へ書物のこらず献上ニなり、御ほうびの勅命の御書付も頂戴いたし古史成文の序文ハ富小路へ被仰付言語同断之ありがたき御序文なし下され候、是ら全く貴翁之御厚情故と日〻存出さぬ日もなく候、また吉田様の方も様子至極よろしく推つけ天下の神主の学師ニ可被仰付候間、其節は又〻可申上候、右等之事ニ付其外ニも種〻様〻の危き目ニもあひ難義も致し候事、今は書尽しがたく何れ帰宅後早〻罷出万〻御咄し可申候、大かた帰りハ十月ニ相成可申候間何分宿元之所よろしく御見立被下候様偏ニ御頼申候、山一ヘも此内よろしく御伝声可被下候、今日客来の所しひて数通之書状相認メ、余り退屈も致し候故是にてまづ投筆致し候、猶後便ニ可申入候、早〻以上
九月十三日 大角
長右衛門様 人〻へ
〔註〕文政六年九月カ