四八五 年月日不詳 平田篤胤書簡

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(越ヶ谷山崎家蔵)

【上欠】昔よりの譬に九十九疋の鼻かけ猨が、鼻のまんぞくな一疋の猨を、かたハじやと云て笑ひ候とぞ、笑ふなら笑ハしておいて可然候、古人の語にも上士は道を聞て大によろこぶ、下士ハ道をきいて大に笑ふ、笑ハざれハいまだ道とするにたらずとも申候、すべて道のことハ人のとりとらぬにも、気ニ入る気ニ入らぬにもかゝハらず、思ふまに/\いひもし記しもすべき物ぞとハ、先師の玉がつまにもかへす/\いひおかれ候間、決してそこらの御心遣ひなさるまじく候、ひつけう御文面を察し候所当時ハなほいまだ跡式御ゆづりもなく、いまだ御隠居もなされず金銀の商売にて居られ候故、そこらからの御しんしやくと存候へども、是ハこしがへの【下欠】

  〔註〕年月日不詳