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狩猟・漁撈・採集

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 瀬戸内沿岸で今日縄文人の足跡を多く追うことができるのは、温暖な気候が安定する縄文前期以降である。海面より少し高い海浜砂堆の上に縄文遺跡が発見される。山口県の瀬戸内でもっとも代表的な遺跡としては、宇部市東岐波海岸の月崎遺跡を挙げておきたい。
 内海の漁撈は彼等の最大の生産手段の一つであったが、舟の未発達なこの時代には、遠海への漁撈はなく、内海漁業にもっぱら食料を求めた。その中心はクロダイであった。そのほかエビ・カニ・タコ・イカ、そしてウミガメも多く捕獲している。
 食料の確保が生活のほぼすべてであった縄文人は、海にのみ依存していたわけではない。瀬戸内の縄文人とても、野山の幸の恵みを大きくうけ、猪・鹿・鳥などの小獣・キン類の狩猟と、木の実類の採集に明け暮れていたことは想像に難くない(図6)。

図6 採集食料の貯蔵 左 岩田遺跡 右 南方遺跡
(角川書店『古代の日本』4より)

 狩猟・漁撈・採集という生活・経済の基盤は、温暖な気候への変化の中で自然が生み出してくれた人類生存への最大の贈り物であった。自然の恩恵の中にふかくつかりながら、縄文人は自らの文化を急速に発展させていった。土器を焼き、美しい文様や器形を創造した。石の道具や骨角器はその種類を飛躍的に増し、それらを作る技術が大きく発達した。
 自然への畏敬の念と自然の神を祭る祭祀の観念が、生活と密接に結びついて、儀式の日暦をつくりあげた。このセレモニアル・カレンダーは、血縁的部族集団の結束と深くかかわっていた。
 自然の変化と人間との深い関係は、旧石器時代から縄文時代への移りかわりの中にもっともよく表われている。自然の大きな力と、自然というものの大切さを私たちはここによく学ぶことができるのである。