長門美祢郡岩永(秋芳町)の旧族岡部氏が、一時期ではあるが生野屋郷を領していたことも知られている(『寺社証文』一五、香山常栄寺)。一五四六年(天文十五)四月五日付の大内義隆袖判の岡部興景譲状に、都濃郡生野屋郷二〇石足(但現土貢一〇石足)を子息の又四郎隆景に譲与したことがみえる。
岡部氏は武蔵七党の猪俣党の後裔で、岡部景澄が一二二〇年(承久二)に美祢郡岩永を領して以来土着したという。その後室町時代に大内氏に属したが、隆景の代の一五五一年(天文二十)に大内義隆に殉じた。このとき、隆景は山口を追われた義隆を領地の岩永に伴い、大津郡瀬戸崎(長門市)から海路を遁れようとしたが果たさず、深川の大寧寺で義隆を追って自刃した。この後の岡部氏については不明であるが、このときに生野屋郷の領地も奪われたものであろう。
つぎに、大内氏の家臣ではないが、このころ大内氏に保護されて所領の給付を受けていた寺社が存在するので、具体的にみておこう。