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松尾八幡宮

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 生野屋の松尾八幡宮は、欽明天皇の御宇に京都より勧請した大明神と、文徳天皇の八五七年(天安元)に豊前宇佐より勧請した八幡宮を二神一社に合祀したと伝える。早くから大内氏や陶氏の保護を受けていたようで、すでに南北朝時代の一三四七年(貞和三・正平二)四月二十八日に、生野屋与一権守が陶弘政から末武郷・山田郷・生野屋郷で寺領を宛行われている。その後も保護を受けてきたが、一五三九年(天文八)十一月二十三日には、生野屋郷宮山での竹木採用を禁止する禁制も得ている(『寺社由来』7)。毛利氏にも保護され、近世に入ると徳山毛利氏の管下に入った。
 下松市域には以上にみてきた寺社のほかにも、河内の妙見山鷲頭寺や切山の八幡宮のように中世以来の長い歴史をもつ寺院がいくつかあるが、文書や記録類が伝来しないため詳細が分からない。