家臣団の知行地で最も注目されるのは、水軍系家臣の知行地が広汎にみられることである。明らかにしうるものだけでも、村上喜兵衛・粟屋弥兵衛・桑原藤右衛門・乃美四郎兵衛・乃美弾正・能美清右衛門・高井源六・飯田七郎右衛門・飯田七兵衛・山県善右衛門・弘中吉右衛門・賀屋市右衛門・福井十郎兵衛などの諸氏をあげることができる。これらの人々と同姓の者の中にも水軍関係の人がいるものと思われる。さきにみた毛利水軍のさまざまな系統の人たちが入り込んでいる。これらの人たちのうち乃美弾正が矢地・生野屋に知行地をもったことは明らかであるが、他の人々については具体的に分からない。しかし、下松浦が毛利水軍の有力な拠点であったことを考えると、市域やその周辺に知行地があったことが想像される。
市域に知行地を持っていたことが明らかな人たちに、三田久次郎の山田郷、植木平七の河内郷がある。