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藩の政治機構

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 藩の行政組織は、初めは戦時的な簡素なものであったが、時代が下るにつれてしだいに整備され、職務の複雑化に伴って多岐にわたった。またその権限も時代によって消長があった。
 最高の権限が藩主にあったことはいうまでもないが、藩主の権限行使を補佐する議政機関として、加判役と呼ばれる重臣による寄合いがあった。寄合いは毎月一日・十日・十九日の三回開かれることになっており、寄合い日には卯の下刻(午前七時)に出仕し、申の刻(午後四時)に退出するように定められていた。藩政の重要事項はこの寄合いで評議され、藩主の決裁を経て発令されるたてまえであった。加判役の名称は、公式文書に署名加判したことから起こったのであるが、やがて藩政の枢要に参画して実権をもつようになった。加判役には、初期には門閥や功労のある高禄の士が選ばれていたが、やがて一門八家の永代家老と寄組の中から選ばれた一代家老によって構成されるようになり、常時四~五人が任命されていた。
 この寄合いに対し、国許での最高行政責任者として当職が任命され、加判役の一人がこれに当たった。また、藩主の参勤・帰国に随行して、藩主に近侍して決裁事務を助ける老臣として当役が置かれ、加判役の一人が起用された。当役は後に江戸藩邸を管轄し、やがて当職をもしのぐ権限をもつ重役となった。なお、当職・当役が常設されて後、加判役は国許にあるものを御国加判役、江戸にあるものを江戸加判役と称するようになり、それぞれ複数で構成されていたが、その権勢はやがて当職・当役に移っていった。
 これらの重役のもとに事務を系統化して、それぞれに専任の係員が置かれるようになった。主要な役職は表1のとおりであるが、これを大別すると、当職座に関わる諸役、当役座支配下の諸役、目付などの監察役、藩主側近に伺候する諸役に分けることができる。これらの諸役は階級制度と相互に関連していて、当役・当職は一門八家および一〇〇〇石以上の寄組の士から、直目付役は一〇〇〇石以下の大組の士からというように、任用の範囲が限定されていた。さらにこの役職が、階級制度の世襲化・複雑化と、職務の細分化・固定化と密接にからまって、六〇〇以上にものぼる役職に拡大されていった。これらの役職の原型がほぼでき上がるのは、初代藩主の秀就から二代藩主の綱広の時期にかけてである。
表1 萩藩主要役職一覧
①裏判役(諸役所の文書・帳簿類の監査)
②手元役(諸役所の庶務監督)
総務関係
③右筆役(一般文書・職員の辞令作製)
④遠近方(直接当職関係の庶務担当)
①蔵元両人役(米銀の出納、物品の購入、土木関係の会計事務)
②所帯方(蔵元両人役の職務を分けて米銀出納を担当)
財務関係
③宝蔵方(宝蔵の貯銀を管理)
当職座④鈔座頭人(藩札の発行)
①郡奉行(町奉行・代官役を管轄し、地方行政事務を総轄)
地方行政②町奉行(萩・山口・三田尻の3町に設置)
③代官役(秀就のとき防長両国を18行政区に分けて宰判と称し、宰判ごとに代官を任命)
①寺社奉行(寺社および儒者・医師・絵師・能狂言師などの業家を管轄)
②大坂頭人(大坂藩邸において金穀の運転にあたる)
その他③京都留守居役(朝廷関係の事務を担当)
④長崎聞役(海外情報を探索)
⑤明倫館諸役(5代藩主吉元のとき明倫館創設)
裏判役(米銀出納の監査、享保元年廃止)
総務関係用談役(当役の顧問)
手元役(諸役所の庶務監査)
当役座諸士の進退右筆役(機密文書・辞令の作製、賞罰の判断)
用所役(会計監査、江戸藩邸の財政計画)
会計関係
矢倉頭人(江戸藩邸の金穀出納、諸工事の会計、需要品の購入調達)
渉外関係公儀人役(幕府および他藩との折衝)
直目付役(藩主に属し、政治の正否得失・訴訟の適否・役人の不正を審断)
検察吏目付役(当職・当役に付属し、一般の不正を偵察検挙)
検使役(各役所におき、不正を摘発検挙)
奥番頭役(殿中の総務)
藩主側近の諸役御納戸役(衣類・調度品の調達、金銭の出納)
小姓役(藩主の日用を助ける)
御裏年寄(夫人付の家老)
(三坂圭治「山口県の歴史」より引用)