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本藩領の村々

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 市域の村高の変遷と蔵入・給領地の異動の状況について表2に掲げておいた。表中の( )内の数字は徳山藩領であることを示す。
 一六一七年(元和三)四月二十八日、輝元の二男就隆が別家を興して下松藩(のちの徳山藩)を創設するに当たって、市域の全領が就隆に分与された。その後二一年(元和七)に萩本藩との間に領地の一部交換が行われて、切山・末武・下谷(須々万の一部)の諸村が再び本藩領となった。下松藩領については第二章1・2で詳述されるので、ここでは本藩領について、簡単にその推移をみておきたい。
 時代が下るにつれて村高は大幅に増加しているが、さきに述べたように、検地の際に租率を下げても実収が低下しないような操作が加えられているので、一概に生産力の発展だけで片付けるわけにはいかない。
 市域では蔵入地が圧倒的に多く、給領地は僅かしかない。しかも、一六二五年(寛永二)から十九世紀前半(天保期)まで続いた事例は一例もない。
 一七三六~四〇年(元文期)以降に、末武や下谷で給領地が見られるようになるのは、開作に関連したものである。一門の吉敷毛利氏が一六八八年(貞享五)に末武村の平田の干潟地を拝領して大規模な開作を行い(御家頼拝領開作)、のちに平田開作村を建てたのは代表的な事例である(『風土注進案』8)。しかし一般的には五石未満の小規模な開作事例が圧倒的に多く、一六八八~一七〇三年(元禄期)ごろから瀬戸内海側の干潟地に広汎に見受けられる。

表2 村高の変遷と蔵入・給領の異動状況一覧

年 代1600年
(慶長5)
1610年
(慶長15)
1617年
(元和3)
1621年
(元和7)
村 名村高
村高
村高
村高

切山



657・200



939・721



(939・721)



939・721


山田679・0601,022・555(1,022・555)(1,022・555)
河内
1,509・802
2,287・518
(2,292・827)
(2,292・827)
豊井1,141・0032,262・691(2,187・649)(豊井)
(2,187・649)
(相嶋)
末武
生野屋
(末武)


(4,895・772)


4,895・772


3,311・966

5,959・735

(生野屋)(1,124・655)(1,124・655)
瀬戸247・907520・533(520・533)(520・533)
温見218・709337・774(343・764)(343・764)
大藤谷134・990241・386(241・386)(241・386)

下谷


(422・612)


422・612


年 代1625年
(寛永2)
1675~76年
(延宝3~4)
村 名村高
蔵入・給領蔵入・給領高
給領主給領高
切山1,175・322
給領1,175・322
(内訳)
繁沢監物500・000繁沢二郎兵衛500・000
草刈対馬600・000草刈太郎左衛門 397・000
木原左近先地75・322
福原猪右衛門 284・260
山田(1,370・085)徳山領(1,370・085)
河内(3,022・371)徳山領(3,022・371)(河内)
(来巻)
豊井(2,470・732)徳山領(2,470・732) (東豊井)
(227・088)徳山領(227・088)(西豊井)
末武
生野屋
5,327・718




蔵入



5,327・718


(1,344・789)徳山領(1,344・789)
瀬戸(611・444)徳山領(611・444)
温見(414・843)徳山領(414・848)
大藤谷(260・609)徳山領(260・609)

下谷


年 代1675~76年
(延宝3~4)
1736~50年ごろ
(元文~寛延)
1842年ごろ
(天保13)
村 名村高
蔵入・給領蔵入・給領高
村高
蔵入・給領蔵入・給領高
切山1,531・841

蔵入

1,266・906
1,594・202

蔵入

1,594・202
給領264・935
(内訳)
草刈三左衛門

264・935

山田(1,917・3602)徳山領(1,917・3602)
河内(3,344・8776)徳山領(3,344・8776)
(1,044・6573)徳山領(1,044・6573)
豊井(1,938・123)徳山領(1,938・123)
(2,443・3332)徳山領(2,443・3332)
末武
生野屋
8,382・388(末武上)2,631・225
蔵入
7,720・682
蔵入
給領
2,629・475
1・750
給領
661・706
(内領)

1・750

(内訳)
(末武中)
2,237・517

蔵入

2,237・517

(笠戸深浦)

山根六右衛門
(末武下)
13・869
3,001・642

蔵入

3,001・642



(平田開作)



毛利市正
(平田開作)


647・837
808・754
(マゝ)

給領
(内訳)
毛利蔵主

831・351

831・351
(1,969・4286)徳山領(1,969・4286)
瀬戸(993・6542)徳山領(993・6542)
温見(744・1785)徳山領(744・1785)
大藤谷(402・2923)徳山領(402・2923)
下谷706・182
蔵入

706・182
1,633・883
蔵入
給領
(内訳)
小方半九郎
林小善右衛門
佐方吉右衛門
武弘九右衛門

1,536・205
(マゝ)97・678

84・393
0・281
4・450
0・780
出典『兼重和泉・蔵田与三兵衛検見帳』・『三井但馬・蔵田与三兵衛検見帳』・『毛利家文書』・『寛永二年坪付帳』・『寛永三年給領御配郡別石高名付附立』・『分限帳村別』・『防長地下上申』・『防長風土注進案』