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就隆の役割

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 このころの就隆は、秀就が老中を藩邸に招いたとき藩邸への案内役を勤めたり、秀就の登城に同道したりした(「公儀所日乗」)。就隆は馬術に堪能で、将軍家光の乗馬の相手を勤めるほどであった。そういう形で、将軍に知られる存在であった(毛利家文庫「徳山御旧記」)。あたかも秀元が、将軍家光の伽衆(とぎしゅう)(つれづれの話し相手)として存在したような関係にあった(『毛利家乗』)。秀元当国は、三一年(寛永八)にすでに終わっていた。