貞享検地の段階での本藩の藩財政は、すこぶる悪化しており、検地目的は、財政難克服のための増徴にあった。農政の課題は、検地による高石高の打出し(増徴)と、耕地間・百姓間の甲乙(不公平・アンバランス)を抨(なら)すことによって、高負担に堪えうる百姓と村をつくり出すことを同時に果たすことであった。目先の増徴をめざす杜撰な検地(慶長十五年検地の結果をみよ)は、村々の疲弊を招くだけである。そこで今回とられた方法は、まず、丈量(面積を測る)と穂付(一坪に籾がいくらとれるという形で生産力を表示する石盛)を村にやらせるということで、これを下見(村の側の申告)という(県庁旧藩記録「貞享抨検地覚書」。下見に基づいて、今度は丈量・穂付ともに代官・手子による上見(領主側の査定)が行われる。検見の場合の上見は、下見が甘いとみられる田で例刈(ためしがり)(坪刈)を行い、そこでの上り率を全体の下見に掛けていくという方法がとられる。貞享検地での丈量・穂付双方の上見も、それと似た手法がとられたのではないか。藩の側では、村に関与させることで、百姓が互いに知悉しているはずの生産の実態を吐き出させようとした。巧妙な施策である。
この検地のもう一つの特徴は、出畝(寛永検地帳の各筆の面積よりも増加した部分)が大量に出ていることである。慶長・寛永検地の面積表示(丈量)が杜撰であることは前述したが、この出畝は、基本的には丈量による増面積とみられる。一筆ごとの田地がどのように検地されたかを、数式で表現してみよう。穂付籾(上見の上りを掛けた一坪の籾)をa、もとの歩数(面積を坪に直したもの)をb1、出畝の歩数をb2、物成(年貢)をd1、出畝の物成をd2とすると、
a×b1×0.5×0.675=d1
a×b2×0.5×0.675=d2
(d1+d2)÷0.4=新分米 b1+b2=新歩数
となる。〇・五は、籾を米に直す率(籾摺(もみすり)をして一升の籾が五合の米になる計算)である。〇・六七五は、実質の年貢率を示し、見積られた生産額の六七・五パーセントを領主が取るということである。非常に高率なのが特徴である。〇・四は、年貢が四〇パーセントに当たるように石高を決める操作で、このために貞享検地を「四つ抨(なら)し」の検地と呼ぶ。注意すべきは、年貢(物成)の方(d1・d2)が先に算出されていることである。新分米(貞享検地の新石高)は、操作を経た結果にすぎないということであり、生産力をはるかに超えた数値のはずである。〇・四は、あくまで仮象であり、領主対百姓の取分比を表わさない。貞享検地以降、後述するごとく春定(はるさだめ)による年貢は、四つ成(石高に〇・四を乗ずる)に固定された。なお、畠(屋敷)の検地は、九段階に石盛し、それに一・二を乗じて石高とした。そして畠高一石に対して、銀一〇匁を畠銀として徴収する(貞享検地以前は、畠高一石に銀一二匁を徴収していたという)。
さて、現下松市域の本藩領の村々は、切山村・末武村・下谷村である。それらの村々の寛永検地高と貞享検地高を比較したいが、後者の数値は知られない。そこで、少し時代は降るが、『地下上申』の村高と比較してみたのが表8である。『地下上申』の村高には、たとえば末武村では少なくとも六四七石余の吉敷毛利氏による「平田香力開作」が含まれているように、貞享検地以後の開作高が含まれている。指数は、本藩領村々は四つ成、参考のためにあげた徳山藩領は三つ六分成の計算とした。本藩領三カ村、とりわけ末武村・下谷村の伸びは著しい。末武村の右にあげた開作を除いた指数は一一六となり、それでも貞享検地によるとみられる伸びは大きい。徳山藩領では、貞享検地は実施されなかったが、豊井村と温見村の伸びがとりわけ著しい(以上、この項の叙述は、田中誠二「萩藩貞享検地考」『山口県地方史研究』六〇号を参照)。
表8 貞享検地を挾んだ石高・想定年貢指数の推移 |
村名 | 本・支藩の別 | 寛永検地高 | 『地下上申』記載高 |
石 | 石 | ||
切山村 | 本藩領 | 1,175.322(100) | 1,531.841 (104) |
末武村 | 〃 | 5,327.718(100) | 8,382.388 (128) |
下谷村 | 〃 | 437.200(100) | 706.182 (129) |
山田村 | 徳山藩領 | 1,370.085(100) | 1,917.3602(101) |
河内村 | 〃 | 3,022.371(100) | 4,389.5349(105) |
豊井村 | 〃 | 2,470.732(100) | 4,381.4562(128) |
生野屋村 | 〃 | 1,344.789(100) | 1,969.4286(105) |
瀬戸村 | 〃 | 611.444(100) | 993.6542(117) |
温見村 | 〃 | 414.848(100) | 744.1785(129) |
大藤谷村 | 〃 | 260.609(100) | 402.2923(111) |
※ | 括弧内は、寛永検地五つ成の想定年貢額を100とした場合の指数で、本藩領は四つ成。徳山藩領は三つ六分成計算とした。河内村には来巻村を含む。 |