十八世紀中・後期は、商品経済の進展に伴い、全国的に社会構造が大きく変化した時代であるが、この歴史的転換期に人々はどのような村落景観の中で生活していたのであろうか。ここではそれを、一七四一年(寛保元)前後に萩藩によって村ごとに作成された「防長地下上申絵図」(山口県文書館蔵、以下「絵図」と略記)を中心に、必要に応じて他の史料を援用しながら、山手と海岸部を東西に走る二つの主要道周辺に限定して概観する。なお、この「絵図」は一町が一寸、三六〇〇分の一の縮尺で描かれ、当時としては非常に精度が高いといわれているものである。
まず、山手の山陽往還道を西から東へのぼってみよう。