ビューア該当ページ

周防の塩業

365 ~ 366 / 1124ページ
 瀬戸内の十州(阿波、讃岐、伊予、播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門)地域は早くから製塩が盛んであったが、近世に入るとさらに一段と発展をとげ、幕末には全国の塩の九割近くがこの十州塩田において生産されていた。この地方では降水量が少ないうえに、地形的に高潮の被害が少なく、砂州が発達して開作に適したところが多いことから、近世になって入浜式製塩が大規模に行われるようになったことによるものである。しかし、それにしても、右と同じ条件の地域は、ほかにも多いにもかかわらず、この地方に入浜式がとくに発達したのは、つぎのような地質的条件からである。近世以前の製塩法は、一つは主として満潮面より高い場所に塩浜をつくり、海水を人力で汲みあげ、砂面に撒水して、塩分の付着した砂をかき集め、海水を注いで鹹水をとり、これを釜で煮つめて水分を蒸発させ塩にする揚浜方式。他の一つは潮が引いたときに干潟の砂をかき集め、それに海水を注いで鹹水をとって、揚浜式と同様に煮つめる自然浜方式であった。近世になると、新しい土木技術の導入によって、浜の周囲を堤防で囲み、内部に浜溝をめぐらせ、その浜溝から毛細管現象によって海水が浸透した撒砂を集めて鹹水をとる入浜式製塩が大規模に行われるようになった。これによって揚浜式ほどの人力もかけず、また自然浜式のように干満に関係なく採鹹が可能になったのであるが、実は、瀬戸内地方は、花崗岩露出地帯であることから、塩田地盤も花崗岩の風化した細粗の砂でできており、これが毛細管現象を高める最良の砂だったのである。こうした地質的特質が、入浜式がこの地域に発展した最大の要因であった(広山堯道『日本製塩技術史の研究』)。
 このような自然的条件に恵まれた瀬戸内地域の中でも、とくに周防地域は、燃料の石炭生産地筑豊に近い地の利を得て、近世中期以降、顕著な発展をし、三田尻塩田を筆頭に各地に多数の塩田が造成された。下松においても、良好な自然条件をそなえたうえに、海運の便にも恵まれていたから、末武南、平田開作、東豊井、西豊井の各村に多くの塩田がつくられた。
 近世初期の塩田は、一区画が一反未満の小規模のものが多かったが、しだいに規模が拡大し、中期以降は一町五反前後が一般的形態となり、これを「一軒前」と称するようになった。表1は、瀬戸内十州塩田の経営規模を一八一六年(文化十三)に著わされた「塩製秘録」によって、この軒数で示したものである。この表からだけでも、周防がいかに製塩の盛んな地域であったかが理解できよう。
表1 瀬戸内十州塩田の国別軒数
国 名軒 数
 
阿 波331
讃 岐145
伊 予98
播 磨685
備 前67
備 中36
備 後124
安 芸154
周 防443
長 門13
2,096
「塩製秘録」より作成。