表2 周防塩田と軒数 |
所在地 | 軒 数 | |
軒 | ||
麻里布 | 11 | |
郷ケ崎 | 2 | |
柳 井 | 13 | |
小 松 | 28 | |
小 田 | 1 | |
馬 嶋 | 1 | |
室 積 | 2 | |
平生古浜 | 22 | |
同所沖浜 | 27 | |
同所曽根 | 11 | |
同所新市 | 19 | |
下松豊井 | (下 松 地 域) | 23 |
同所中浜 | 6 | |
平田中浜 | 4 | |
平田浜 | 10 | |
徳山新浜 | 7 | |
富田浜 | 6 | |
三田尻江泊 | 17 | |
三田尻古浜 | 39 | |
三田尻中浜 | 13 | |
三田尻鶴浜 | 22 | |
三田尻大浜 | 75 | |
三田尻西浦 | 35 | |
小郡青江 | 19 | |
小郡長浜 | 19 | |
小郡遠浪 | 11 | |
計 | 443 |
「塩製秘録」より作成。 |
表3 文化年間(1804年~1817年)の下松塩田 |
浜 名 | 軒 数 | 屋 号 | |
軒 | |||
豊 井 | 17 | (無記載) | |
宮ノ州 | 3 | (無記載) | |
豊井新崎 | 3 | (無記載) | |
下松中浜 | 6 | (イ)きてふ屋 | (イ)せに屋 |
(ロ)高洲屋 | (ロ)むら屋 | ||
(ハ)しけ屋 | (ハ)三谷屋 | ||
平田中浜 | 4 | えびす屋 | いせ屋 |
加賀屋 | さつま屋 | ||
平田浜 | 10 | 百姓小浜 | |
御蔵入 ひらた屋 | 御蔵入 さかい屋 | ||
吉敷御領 | 吉敷御領 | ||
あたらし屋 | しほつ屋 | ||
みよし屋 | かつら屋 | ||
鶴屋 | 竹屋 | ||
ふし屋 | 土井屋 |
「塩製秘録」より作成。 |
その下松塩田の起源は明らかではないが、すでに前節で述べたように、鯉浜付近には中世、揚浜式の製塩が行われていたことを推測せしめる。しかし、大規模な製塩が行われるようになるのは近世に入ってからのことである。それも一六二五年(寛永二)の検地帳の段階では、まだ豊井保で一一〇石九斗五升(一町三反三畝二一歩)、末武村で六四石九斗三升(二町四反八畝二〇歩)があがっているにすぎず、本格的な製塩は十七世紀末以降のことである。このころ土木技術の向上とあいまって干潟の干拓が急速に各地で推進されるようになり、その干拓地のうちで農業よりも製塩に適している地域が塩田として築造されていったからである。したがって、塩田の歴史は干拓の進展とからめてみる必要がある。