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下松塩田の規模

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 では、周防の中の近隣地域に比べて、下松ではどの程度の規模の生産が行われていたのであろうか。それを知るために周防全域と下松地区の軒数を示したのが表2、表3である。下松地区あわせて計四三軒で、周防全体の塩田の一〇分の一近くが下松にあったことになる。一軒前を一町五反で計算すると、六四町五反となるが、さらに、「塩製秘録」は文化年間(一八〇四~一七)の見聞によるもので、石炭を利用した改良釜の普及によってこれ以後、下松地方の塩業はますます隆盛に向かい、幕末には右の数字をはるかに上回る面積の塩田があったと推定される。
表2 周防塩田と軒数
所在地軒 数
麻里布11
郷ケ崎2
柳 井13
小 松28
小 田1
馬 嶋1
室 積2
平生古浜22
同所沖浜27
同所曽根11
同所新市19
下松豊井 (下


域)
23
同所中浜 6
平田中浜 4
平田浜 10
徳山新浜7
富田浜6
三田尻江泊17
三田尻古浜39
三田尻中浜13
三田尻鶴浜22
三田尻大浜75
三田尻西浦35
小郡青江19
小郡長浜19
小郡遠浪11
443
「塩製秘録」より作成。

表3 文化年間(1804年~1817年)の下松塩田
浜 名軒 数屋 号
豊 井17(無記載)
宮ノ州3(無記載)
豊井新崎3(無記載)
下松中浜6(イ)きてふ屋(イ)せに屋
(ロ)高洲屋(ロ)むら屋
(ハ)しけ屋(ハ)三谷屋
平田中浜4えびす屋いせ屋
加賀屋さつま屋
平田浜10百姓小浜
御蔵入
 ひらた屋
御蔵入
 さかい屋
吉敷御領吉敷御領
あたらし屋しほつ屋
みよし屋かつら屋
鶴屋竹屋
ふし屋土井屋
「塩製秘録」より作成。

 その下松塩田の起源は明らかではないが、すでに前節で述べたように、鯉浜付近には中世、揚浜式の製塩が行われていたことを推測せしめる。しかし、大規模な製塩が行われるようになるのは近世に入ってからのことである。それも一六二五年(寛永二)の検地帳の段階では、まだ豊井保で一一〇石九斗五升(一町三反三畝二一歩)、末武村で六四石九斗三升(二町四反八畝二〇歩)があがっているにすぎず、本格的な製塩は十七世紀末以降のことである。このころ土木技術の向上とあいまって干潟の干拓が急速に各地で推進されるようになり、その干拓地のうちで農業よりも製塩に適している地域が塩田として築造されていったからである。したがって、塩田の歴史は干拓の進展とからめてみる必要がある。