商業的農業の進展は、本百姓経営に重大な影響を与え、地主-小作関係が成立するひとつの契機となったが、同時にそれはまた、農村にさまざまな職業を生み出し、自給自足を原則とする近世初期からの本百姓体制に直接・間接に大きな変化をもたらした。
たとえば、表8からも分かるように、末武上村だけでも村内にいろいろな種類の職人がいるうえに、三五人もの商人があげられ、すでに天保年間(一八三〇~四三年)にさまざまな商取引きが行われていたことをうかがわせる。具体的にどのような品物を扱っていたかは、この表からでは分からないが、都濃宰判全体の職種、人数を掲げた表9からおおよその推測はできる。この表にあがっている製品や素材を、専業として、あるいは農間余業として生産するもの、またそれらを売り歩くものなど、種々のタイプの生産者、職人、商人が近世中、後期の村々には存在していたのである。しかも、都濃宰判には海岸に面した村が少ないが、海岸に隣接する東豊井村、西豊井村あたりでは、製塩、漁業、回船業関係者が多く、職種がさらに多様化していたにちがいない。
職 種 | 人 数 | | 人 | 僧 | 23 | 盲 僧 | 1 | 医 師 | 1 | 酒 造 | 3 | 紺 屋 | 3 | 大 工 | 7 | 桶 屋 | 2 | 問 屋 | 2 | 商 人 | 35 | 鍛冶屋 | 5 | 質 屋 | 1 | 左 官 | 2 | 船 乗 | 1 |
『風土注進案』より作成。 農業、漁業、塩業従事者は含まれていない。 |
| 表9 都濃宰判諸職人、 商人の職種別人数(1854年) |
職種 | 人数 | | 人 | 家大工 | 82 | 船大工 | 5 | 杣木挽 | 38 | 桶 屋 | 34 | 左 官 | 5 | 石 工 | 3 | 紺 屋 | 25 | 畳 刺 | 8 | 鍛冶屋 | 25 | 鋳懸師 | 3 | 瓦 焼 | 2 | 挑灯屋 | 2 | 茶碗焼 | 2 | 籠作り | 2 | 髪 結 | 2 | 風呂屋 | 1 | 旅籠屋 | 15 | 蝋燭屋 | 3 | 菓子屋 | 1 | 菜種屋 | 1 | 醤油屋 | 13 | 古手商 | 27 | 穀類并瀬戸物商 | 51 | 質 屋 | 6 | 塩屋并担売 | 14 | 肥し商 | 2 | 紙 屋 | 3 | 濃物屋 | 9 | 材木竹商ひ | 3 | 荒物商 | 18 | 茶商并担売 | 16 | 鍋釜商 | 5 | 船 乗 | 2 | 計 | 428 |
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