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さまざまな租税

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 租税制度についてはすでに第三章、3で述べられているので、ここでは説明を簡略にし、天保年間(一八三〇~四三年)ころ民衆が実際にどの程度の税負担をしていたかについて、『注進案』によって示しておこう。
 表11の(A)、(B)、(C)は、それぞれ村々へ課せられた各種租税を、(A)米による貢租、(B)銀による貢租、(C)米以外の現物による貢租の三つに分けて掲げたものである。
表11(A) 下松市域諸村の米による租税(ただし本藩領のみ)
田畠
現石高
A
実収高
(作立米)
上納高(米納貢租)残高
(作徳手取)
A-B
上納率
B/A
人 口一人当たり飯料
並米諸小貫畠出来その他計B
石 石 石 石 石 石 石 %斗 
末武上2,559.2051,735.5191,001.634228.4663.7541,233.845501.66571.11,3483.72
末武中2,065.5831,444.820840.416190.7192.7611,033.895410.92571.59594.28
末武下2,917.3852,176.1021,221.675223.4182.5111,447.604728.49466.52,4592.96
平田開作498.356429.017213.68480.6660.883295.232133.78668.85462.45
切 山1,564.397861.     608.247140.0385.124753.409107.64187.56351.70
石 
下 谷1,593.146838.254
(蔵入地)
525.454137.6994.56320.031
(津出来)
687.748150.50782.7711.95
合以下は四捨五入『注進案』より作成。

(表)表11(B) 下松市域諸村の銀による租税(ただし本藩領のみ)
畠銀浮役銀門役銀山立銀山役銀浦屋敷銀塩浜銀
(浜銀)
釣役銀海上役銀鉄砲川役銀酒場銀夫銀目銭
貫匁匁 匁 匁 匁 貫匁
末武上1.876.84562.152200.55 81.5422.2 1.490
末武中1.380.4 454.092147.52521.5715.27
匁 貫 匁匁 匁 
末武下1.252.69603.696192.67517.3 565.741.015.7835.
(笠戸浦)
133.8617.735.050
匁 匁 
平田開作485.45
8.96
(塩浜分)
2.618.53149.5139.03
切 山2.562.06344.16785.05 325.790.382
匁 
下 谷2.654.96348.915103.95685.751.86
10.221.362.313.022729.751.131.951.86565.743.634.3135.133.8655.26.922149.5139.03
『注進案』より作成。

表11(C) 下松市域諸村における米以外の現物による租税(ただし本藩領のみ)
大豆蕨縄渋紙細引半紙黒保特牛皮
石 束 房枚 本 歩 朱丸 締 束締 束
末武上3.7549.5.  5.815.819.2.0510.05
枚 
末武中2.7617.0.250.631.5.072.031.3
末武下2.5059.1.750.80.8
平田開作
切 山5.1244.05.  0.320.3245.4.  34.07
下 谷5.1784.7.  1.051.0569.0.0448.05
合以下は四捨五入。『注進案』より作成。

 (A)の并米(びょうまい)は、正租米と付加税の口米(くちまい)(田租の徴収に当る役人への手当米)、種子利米(しゅしりまい)(種籾貸付けの名目で徴収する付加税)、作飯利米(さくはんりまい)(飯米貸付けの名目で徴収する付加税)の四種類の年貢を一括徴収するものである(第三章、3)。小貫(こつなぎ)は藩庫に納める中央税に対し、郡村の経費を補足するために徴収する租米で、田畑の持高に応じて徴収した。畠出米(はただしまい)は畑地に課した郡村付加税をいう。
 この表から分かるように、これらの貢租米が実収高のうちに占める比率は、七〇パーセントを超える場合が多く、農民の手もとに残る米はきわめて少量であった。たとえば末武上村の場合、年間一人当たり平均三斗七升二合しか米を食べることができなかったという計算になる。一日三合食べるとして年間一石九升五合で、七斗二升三合の不足となる。これは現在からみると驚くほど低い数字であるが、この不足分は、後でふれるように(次項)麦をはじめとする穀類や野菜類で補っていたのである。それにまた、これ以外に表10に示したように各種の貨幣収入があり、これによって魚その他を摂取していたのであろう。
 ただ、これら米以外の生産物や不動産に対してもこまごまと税は課せられた。表11(B)はそのうちの銀納による租税である。畠銀は、畠地の生産物を米に換算して石高表示し、その石高に対し一石につき銀十匁の比率(石貫銀、第三章、2)で徴収した。浮役銀(うきやくぎん)は軍馬の飼料として藁、すくもなどを現物徴収していたのを銀納化したもので、田畑の石高に応じて現高一石につき銀二匁二分の比率で、門役(かどやく)銀は軒役として本百姓から一戸当たり二匁一分、半軒百姓からはその半分を、山立(やまたて)銀は農家私有の合壁山(かっぺきやま)ならびに藩士に預けて利用を許していた御預山に対する課税で、山林の面積や地味に応じて、また塩浜銀(浜銀)は塩田の生産を米に換算して石貫銀で徴収した。漁業に関する諸税については第六章、2で述べたのでここではふれない。このほか、鉄砲銀は鉄砲による狩猟の収穫に対する税、川役銀は河川漁猟の収穫に対する税、酒場銀は酒造業者の営業税、夫銀は夫役料として田畑の石高に対して石別三分の比率の税、目銭は畠銀と夫銀を加えた額から一匁につき五厘の比率の税であった。
 表11(C)は米以外の現物貢租である。大豆は軍馬の飼料として畠高一石当たり二升を、蕨(わらび)縄は蕨の根茎からとった繊維で作った縄(湿気や水に強いので船舶装具に用いる)で、本百姓一軒につき一房、半軒百姓から半房、四半軒百姓から四分の一房を、渋紙は楮紙に柿渋を塗った防水紙で、軍陣の屋根や旅装荷物の梱包用として寺社領から石高一〇石につき五枚の割で、細引も同じく寺社領から一〇石につき五本を徴収した。また、黒保(くろほう)は半紙を漉いた残り原料で漉いた日用のつかい紙で、半紙に付加して、特牛皮(こっといがい)は牝牛の皮のことで、兵具の材料として、それぞれ徴収した。