先の法令の文面からも分かるように、為政者の目指すところは、あくまで身分制の厳格な封建秩序の維持であり、これに対し、生活の向上、安定のための自己規律として勤勉、孝行、倹約などの通俗道徳を実践しようとする民衆とでは目的を異にしていたことはいうまでもない。したがって、民衆のあいだに心学や道徳強調の宗教が盛行し、また、為政者が善行者の顕彰に力を入れたからといって、それがただちに封建秩序の強化につながるとは言いきれない面があった。むしろ逆に、自己規律の道徳に基づいて、民衆は能動性、自律性を身につけることによって為政者の目指す方向とは別の方向へ進む可能性も秘めていたのであり、法令を逸脱して奢侈に走ることも少なくなかった。
それに、通俗道徳の強調によって家と村の維持、繁栄をはかろうとする階層は、村落内でも上・中層農民に多かったのであるが、農村における階層分解の進行に伴い、商人、手工業者、小作、日雇労働者など、上・中層農民とは意識の異なるさまざまな身分階層が台頭し、それらが消費意欲を高めてくると、既存秩序から逸脱した行動も頻繁にみられるようになった。
それは、「大令録」に規律違反による処罰に関する記事が多く記されていることからもうかがえる。なかでも、近世末期になって顕著にみられたのは華美な衣裳と賭博の摘発であった。特に、前者は河内村の妙見宮をはじめとする各地の祭りにおいて、また後者は豊井の繁華街において多くみられた。処分として逼塞、過料、人夫役を課せられたが、いくら処分されても犯罪者があとをたたず、藩も対応に苦慮したものと思われる。このことは、貨幣経済の進展、消費社会の拡充に伴って派生した服装制限への抵抗、遊民の増加というこの時代の一連の風潮のなかで惹起した民衆社会の諸現象に対し、藩権力はもはやこれを十分に押さえ込む力を喪失しつつあったことを示唆している。
第八章で詳しく論じられる幕末の百姓一揆もこのような社会状況のなかで起こったのである。