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祭りと休日

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 労働が厳しければ厳しいほど休日が必要となってくるのは当然のことであるが、農村が、中世の土豪的系譜をひく一部少数の家父長的権威をもった大経営地主を中心に運営され、農民がその被官百姓的存在として賦役労働に従事することの多かった近世前期には、休日を農民層が要求することは不可能だったであろう。しかし、近世中期以降、家父長制的な家が解体して、小百姓経営が一般化し、農民の合意に基づく村政運営が実現するようになると事情が変わり、休日志向が強まってくるのが全国的傾向であった(古川貞雄『村の遊び日』)。
 下松地区ではどの程度の休日をもっていたかを『注進案』によってみると、村によって多少の違いはあるが、平均的にはつぎのようであった。明確に「休息」と記しているものもあるが、それ以外の祭りや宗教法要の日も休日に含めてよいであろう。
正月 元日より三日間休息し、氏神参詣、旦那寺、地下廻礼、鋤鍬初め、薪樵初め等を行う。
正月七日 七種の粥を神仏へ供え、農事をやめて社参。
正月十五日 餅粥を神仏へ供え、農事をやめて社参。
二月一日 並び朔日と称して休息し、寺社へ参詣。
三月三日 雛祭りで休息し、寺社へ参詣。
五月五日 端午の節句であるが、農業の忙しい時期なので休息せず、かわりに田の植付け終了後、泥落と称して一日休息。
六月 虫除祈祷、年により一定していないが、大体土用入りのころ、地下より願出て氏神田頭神幸、または社頭にて大般若経転読。
六月晦日 「逆蝿祓(さばらい)」と称し、牛馬を川へつれて行き水浴。
七月初旬 盆施餓鬼、旦那寺を招いて読経。
七月十四、十五日 盆会、先祖祭りのため寺院へ参詣、盆踊りは近年取締りにより中止。
七月 禅宗、法花宗の旦家施餓鬼。
八月一日 八朔、四面の祝いと称し、休息。
九月九日 切山八幡宮祭日。
九月十五、十六日 花岡八幡宮祭日。
九月二十一日 須々万八幡宮祭日、須々万御添石の地域は社参。
十月十六、十七日 下谷村祇園社祭日。
十一月 真宗門徒、お取越し報恩講。旦那寺を招いて読経、会食。

 このほか、年に二、三度の申し、流行病発生時の施餓鬼百万遍念仏、地区内小社の小祭り、各家々の年忌法要等においても仕事を休んだが、以上からも分かるように、休日のほとんどは宗教行事と関係のある日であった。神や仏を祀る日は、農民にとって苦しい労働から心身ともに公然と解放される貴重な休養日でもあった。こうした休養日があってはじめて閉鎖的な村落内の人々の行動も多彩になり、労働意欲の高揚もあり得たのであり、祭りは村の活性化に貢献していたといえよう。