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一揆の三事件

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 この東豊井村一揆は右のような三つの事件から構成されている。この事件を、検挙者の口述書から構成してみるとつぎのような状況となる。
 第一の事件は宮ノ洲煮干小屋打毀し事件である。これは一八三〇年(天保元)九月三日夜、誰かが海岸で篝(かがり)火をたいたことを合図に、東豊井村の住民が宮ノ洲煮干小屋に集合し、煮干小屋を打毀して海へ投げ捨てた。このため、煮干小屋は跡方もなく消え失せたのである。住民が手に武器となるような農具を持参したという口述は見当たらないから、集った人々は素手であったと考えられる。おそらく、力まかせに小屋を毀し、これまでの積ったうっ憤をふき払うように、小屋の用材を海へ投げ捨てたのであろう。
 この第一の事件に参加したことを自白している者は、表1にみられるように、逮捕者一八四名中、二七名、代理参加者二名、計二九名であった。
表1 逮捕者事件別参加表
件 別参加人(%)代理人(%)別日
押印人
(%)不参加
(%)不明(%)
第1事件 (打毀)27(15)2( 1)156(85)1( 0)
第2事件 (連判状)100(54)19(10)43(23)80(43)4( 2)
第3事件 (強訴)150(81)10( 5)29(16)5( 3)

 第二の事件である正立寺集合連判状事件は、第一の事件から波及して生じた事件である。第一の事件に驚いた徳山藩府は、事件の主謀者を検挙するため、村民の情報を集収することを始めた。そこで、そのような藩府の動きに対抗するため、一揆参加者を村民中に隠す必要が生じた。そのため一揆参加の連判状を作成し、できるだけ多くの村民がこの連判状に名を連ね、主謀者を隠蔽することが行われた。この連判状の作成が第二の事件である。
 これは第一の事件から三日後の九月六日、村民の多くを村内の正立寺に集めて押印が行われた。当時の住民は印鑑を持っていないため、爪印を押すことにしたのである。
 この第二の事件に参加した者は、逮捕者一八四名中一〇〇名が認めている。代理人を出した者は一九名、別日に押印した者が四三名で、計一五二名、約八七パーセントの者が押印を認めている(表1では不参加者と別日参加者とは重複している)。
 第三の事件は、検挙者が出はじめたので、検挙者を奪還するため、庄屋に対して村人の先頭に立って交渉してくれるよう、庄屋宅へ押しかけた事件である。庄屋への強要事件とでもいえよう。この日九月七日は、鐘を合図に村民が古川土手へ集合し、それから大勢で庄屋宅へ押しかけている。口述者からは、七日の午後から夕方にかけ、大勢が庄屋宅をとりまいて気勢を上げたことがうかがえる。
 この第三の事件に参加した者は、逮捕者一八四名中一五〇名、代理一〇名で計一六〇名、約八六パーセントの者が参加を認めている。