この一揆では、主謀者は一八三〇年(天保元)九月七日に逮捕され、徳山の御客屋へ連行されて取調べを受けている。このとき逮捕された者は八名と考えられ(のちの逮捕者より処罰者が八名多い)、主謀者ではないが積極的参加者とみられる者は翌年九月に検挙され、十二月に判決を受けている。
そこで、ここでは逮捕された者の統計を示し、積極的参加者の実態をみてみよう(前年の逮捕者はこの表に含まれていない)。
年齢 | 人数 | % | 10代 | 18 | 10 | 20代 | 19 | 10 | 30代 | 36 | 20 | 40代 | 40 | 22 | 50代 | 47 | 25 | 60代 | 20 | 11 | 70代 | 4 | 2 | 計 | 184 | 100 |
| 種 類 | 家数 | % | 持 家 | 134 | 73 | 借地持家 | 26 | 14 | 借 家 | 15 | 8 | 不 明 | 9 | 5 | 計 | 184 | 100 |
| 職業 | 人数 | % | 百姓 | 98 | 53 | 浜方 | 51 | 28 | 酒方 | 8 | 4 | 日雇 | 12 | 6 | 職人 | 7 | 4 | 商人 | 3 | 2 | 不明 | 5 | 3 | 計 | 184 | 100 |
|
表2は逮捕者の年齢表である。年齢順でいうと、五〇代の参加者が多く、次は四〇代その次は三〇代となっている。通常一揆といえば血の気の多い二、三十代が多いと考えられるが、この一揆では若い者の参加率が低い。これは東豊井村の村落構造が純農村型ではなく、かなりの青壮年層が村民その他で出稼に出ているという、都市近郊型農村に変化しているためではないだろうか。
表3は、逮捕者の持家の種別表である。これでみると自分の土地と家を持っている者が多いことが分かる。しかし、借地に家を建てている者と借家に住んでいる者が二二パーセントもいることは、注目してよい。農民層が分解し、かなりの日雇労働者が出現している状態を反映しているといえる。
表4は逮捕者の職業表である。農民は全体の五三パーセント約半分を占めるが、浜方として塩田で働く者が二八パーセントいることは注目してよい。逮捕者のうち、三人に一人は塩田労働者である。また、酒方とか日雇・職人などもかなり逮捕されている。これらのことから、一揆の推進者は農民だけではなく、塩田労働者を主体とする貧窮者層と考えられる。