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天保二年の大一揆

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 一八三一年(天保二)七月、山口宰判小鯖村で発生した一揆は、またたく間に防長両国の全藩領に波及し、藩内(支藩領を含む)一三カ所で一揆が発生した。この一揆は御内用反対一揆と称され、藩府の専売制強化策に対する反対行動であった。徳山藩領では、九月二日に夜市村で発生し、農具で武装した農民は福川・富田の富商・農家を打ち毀し、徳山町へ乱入した。徳山藩府は、両豊井村での一揆の再発を恐れ、厳重な警戒を行ったが、両村は平穏であった。
 同年十一月三日、熊毛宰判高森地方で一揆が発生した。この一揆に、末武三カ村の農民も参加したと思われるが、その実態はよく分らない。
 この一八三一年の大一揆では、打毀された家は両国で七五一軒といわれ、検挙された者三一九名、有罪者一六二名、誅伐された者一〇名である。これに比べると、その前年の三〇年に発生した東豊井村一揆は、小規模な一揆であったにもかかわらず、逮捕者と有罪者がきわめて多いということがいえる。