(一) 大庄屋は村庄屋を指導し、藩の布達を下達するだけでなく、藩府と管内農民がともによいように取り計らう。
(二) 率先して質素倹約につとめる。
(三) 村の農地の地力の向上を図る。
(四) 農民が満足して農業に励むようにする。
(五) 庄屋の勤務ぶりを熟知する。
(六) 下達・上達ともに早く処理し、事務遅滞を起こさない。
(七) 農民間の争いや村紛争などが生じたとき、大庄屋の見識で取り静め、できるだけ藩の力を借ることがないようにする。
(八) 村会計について、遅滞なく正しく処理する。
(二) 率先して質素倹約につとめる。
(三) 村の農地の地力の向上を図る。
(四) 農民が満足して農業に励むようにする。
(五) 庄屋の勤務ぶりを熟知する。
(六) 下達・上達ともに早く処理し、事務遅滞を起こさない。
(七) 農民間の争いや村紛争などが生じたとき、大庄屋の見識で取り静め、できるだけ藩の力を借ることがないようにする。
(八) 村会計について、遅滞なく正しく処理する。
ところで、「都濃郡宰判本控」から大庄屋の名前をまとめると、歴代の大庄屋はつぎのとおりである。
一八三七年(天保八) | 内富源左衛門 |
一八三八年(〃 九) | 城市右衛門 |
一八三九年(〃 十) | 野村 又六 |
一八四〇年(天保十一) | 城市右衛門 |
一八四一年(〃 十二) | 〃 |
一八四二年(〃 十三) | 城与左衛門・長見栄吉 |
一八四三年(天保十四) | 森重儀左衛門 |
一八四四年(弘化元) | 長見 栄吉 |
一八四五年(〃 二) | 山本半左衛門 |
一八四六年(〃 三) | 〃 |
一八四七年(〃 四) | 野村又右衛門 |
一八四八年(嘉永元) | 城 藤四郎 |
一八四九年(〃 二) | 野村又右衛門 |
一八五〇年(〃 三) | 〃 |
一八五一年(〃 四) | 上原 勝平 |
一八五二年(〃 五) | 森重荘右衛門 |
一八五三年(〃 六) | 堀三右衛門 |
一八五四年(安政元) | 堀三右衛門 |
一八五五年(〃 二) | 上原 勝平 |
一八五六年(〃 三) | 森重荘右衛門 |
一八五七年(〃 四) | 上原 勝平 |
一八五八年(〃 五) | 西村嘉平次 |
一八五九年(〃 六) | 田中 平作 |
一八六〇年(万延元) | 森重荘右衛門 |
-(不 明)- | |
一八七〇年(明治三) | 上原 勝平 |
一八七一年(〃 四) | 堀 英之助 |
一八七二年(〃 五) | 堀 英之助(仕組掛) |
大庄屋の交代期は、毎年九月である。右の表でみる限り、大庄屋の任期は一カ年で、長くても二年限りである。しかし、連続しなければ再任された者もいた。このように、このころの大庄屋の任期が短いことは、大庄屋の職務が多方面にわたった激職であり、しかも強い権能を保持し、そのため連続することをさけたためと考えられる。