花岡勘場における毎年の経常業務の一つに、戸籍帳の作成がある。戸籍帳は一七七九年(安永八)に公布され、その後一八二五年(文政八)に再度改正法令が公布された。この改正の主要点は、記帳の責任者を庄屋から畔頭へ移したことである。戸籍帳の記載内容は、一頁を一軒分として持高・在所名・組名・身分・名前・旦那寺・家族の名や続柄・生年月日・牛馬数・船数などを記入している。除籍した場合は斜線で抹消を示し、戸主が相続したときは貼紙をして全部を書き改めた。巻末には一村括りが付され、代官に帳簿を提出して検印を受けている。
一八二六年(天保九)十一月、花岡勘場においてはこれまでどおり戸籍帳を作成した。これに要した経費は、米一五石余であった。この費用は、宰判経費として藩から認められている郡配当米から支出された。この米は、戸籍帳作成に従事した庄屋・畔頭へ配当されたと考えられる。