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萩城台所の焼失

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 一八四一年(天保十二)四月十七日夜、萩城内の台所から出火し、火は台所とその隣りの記録所の二棟を焼失して鎮火した。この日は風のない平穏な日であったので、被害はこの程度で食い止められたという。しかしこの火災は、萩城創建以来の大火災であった(『萩市史』一)。
 この火災による萩城再建のため、藩府は藩内の富裕者に対し、萩城復興資金の募金を行った。花岡勘場からも献金がなされている。このときの献金者は、花岡勘場轄内の本藩領村々の富裕者一覧となっているので、献金額・身分・氏名を書き上げてみることにする。
一、銀八百匁大庄屋城市郎右衛門
一、同六百匁御恵米方野村 又六
一、同八百匁大庄屋格田中宗五郎
一、同八百匁林伴右衛門
一、同五百匁林 権平
一、同八百匁山本彦右衛門
一、同六百匁上原惣左衛門
一、同六百匁西村 武兵衛
一、同五百匁末武上庄屋野村又左衛門
一、同五百匁末武下庄屋堀吉郎左衛門
一、同五百匁末武中庄屋森重与一左衛門
一、同五百匁下谷村庄屋森本儀左衛門
一、同五百匁切山村庄屋末光 小兵衛
一、同五百匁末武中百姓堀 三左衛門
一、同五百匁末武中百姓堀 良左衛門
一、同五百匁末武上百姓原田 与兵衛
一、同五百匁末武下百姓下村次右衛門

 献金を行った人々は、花岡宰判内において庄屋役以上の者と、庄屋同格と考えられる富裕農民である。献金者中に畔頭の名がみえないが、これは藩府から内示された割当額に対して、庄屋クラスの献金のみで満額に達したためであろう。なお、この献金は火災後四カ月あとの同年八月に献納されている。