一八四六年(弘化三)七月、笠戸島山廻り船が新しく新造されることになった。山廻り役にとって、船は職務を遂行するため、必要で欠くことのできない交通手段であった。なぜなら、笠戸島は海岸から直立する山をもつ嶮阻な島で、山を見廻るために船を使用したからである。
同年七月、勘場役人である恵米方と大庄屋から藩府へ提出された願書には、大意つぎのように書かれている。
(一) 米九石余を支出したい。
(二) その理由は笠戸島深浦に置かれている山廻り船を新造するためである。
(三) 旧船は九年間使用し、全体にわたって虫が入り使用不能である。
(四) この経費は修甫米銀のなかから支出したい。
これは、山廻り役の巡視用船が虫入りで使用不能となったので、勘場で積み立てている修甫米銀から、新造のための経費を支出したいというのである。財源である修甫米銀は、勘場において予想される公共物の修理・保繕のため、設けていた制度による資金のことである。この制度は一定額の米銀を蓄積し、その運用利息で公共物の修理保繕費に充当するものであった。笠戸島の山廻り船の新造は、この修甫米銀制度を利用して支出したいと、恵米方と大庄屋が願い出たのである。藩府はこれを許可した。
この年、花岡勘場で修甫制度を利用して行った工事は、この山廻り船新造以外にはない。しかし、勘場が管理する公共物(建物)としては、つぎのようなものがあった。
(1) 勘場 | 花岡(末武上村)にある。 |
(2) 御茶屋 | |
(3) 火番小屋 | |
(4) 天下物送り場 | |
(5) 馬立場 | |
(6) 高札場 | 末武下村にある。 |
(7) 山番所 | 笠戸島(末武下村)にある。 |
(8) 船倉 | |
(9) 山廻り船 |
これらの公共物は、修甫米銀の費用で、老朽化すると新しく造り替えられたのである。