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淫祠の解除

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 萩本藩では一八四一年(天保十二)以降、天保改革と称される一連の藩政改革を断行した。この改革の一つに、淫祠解除という宗教改革が含まれていた。この淫祠とは、元禄の寺社台帳に登録されていない寺社すべてを指し、翌四二年からこの解除政策は実施された。この結果、四四年(弘化元)には解除された寺社は九六六六所に及び、除去された石体などは一万二五一〇体と記録されている。
 このような藩の措置に関連して、花岡勘場では大意つぎのような上納願が提出された。(一)札銀五匁四分八厘とする。(二)これは存続理由のある寺社の税金分である。(三)税額は合壁山なみの税とする。(四)御根帳への登録を希望する。
 上納願は、一八五二年(嘉永五)十一月に大庄屋から藩府へ提出された。これでみる限り、上納銀はごく僅かである。この上納金は、存続する寺社の税金相当額であるから、税額が低いということは存続を願う寺社が少なかったことを意味する。存続する寺社が少ないことは、解除される寺社が多かったことになる。このとき、どのような寺社が解除されたかは記録が残されていないので不明であるが、かなりの寺社が淫祠として解除されたとみられる。

淫祠解除ニ付上納願