徳山藩領内の村々は、市域内では東豊井村・西豊井村・河内村・山田村・生野屋村・大藤谷村・瀬戸村・温見村などがあった。これらの村の中で、海に面している村は東豊井村・西豊井村の二村のみであるが、この両村ともに海岸部には塩田があった。なかでも、西豊井村は、浦と呼ばれる漁村地区をもち、それに連らなる下松町と呼ばれている市街化地域があった。この下松町は農村地区とは異なり、徳山の町奉行の支配下におかれていた。これ以外の村は南から河内村・山田村・生野屋村・瀬戸村・大藤谷村・温見村であったが、いずれも山村であった(第二章、1・2、第四章、2)。
下松町を含む徳山藩領の村々は、いずれも徳山藩御蔵本の支配下におかれていた。御蔵本は藩府の中心的役座で、本藩の御蔵本(会計方)と同じ機能と権限をもち、郡奉行や代官をその下に置いていたとみられる。また御蔵本は、町奉行を通して町方をも動かすことができ、当職座のいわば執行機関であった。この御蔵本で作成された記録「大令録」から、市域内村々の動向をみることにする。