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下松穀物売買会所

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 一八三五年(天保六)七月、徳山藩御蔵本は町奉行所へ大意つぎのような通達を出している。
(一) 下松町国井治郎左衛門を、穀物売買会所の御手締頭取に任命する。
(二) 穀物売買会所はこれまで富田町にあったが、これを下松町へ移す。
(三) 会所の運営が順調ならば、手締人などに心付(給与)を支給する。
(四) 手締人は藩方出張役人の指図を受けよ。
 右の通達から、この年に穀物売買会所が富田町から下松町へ移転してきたことが分る。移転の原因については「吟味するところ」とあることから、富田町で何か不正な事件が生じたためであろうか。ともあれ、下松町へ移ってきたこの会所は、国井治郎左衛門を手締役頭取として運営されることになった。治郎左衛門以外に、柳伝兵衛・下瀬伝兵衛にも手締役の任命書が出されているので、この三人により運営がなされたのである。
 この穀物売買会所は、国井治郎左衛門が問屋頭取であったことからみて、穀物商人が集り穀物の売買をしたと思われる。取扱った穀物は、「出張役人の下知」というから、藩府に納められている年貢米を中心とする穀物ではなかったかと推定できる。

国井治郎左衛門への手締役任命書