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穀物会所の改革

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 そこで、徳山藩府は穀物会所の抜本的対策として、一八四〇年(天保十一)十月に会所の機構改革を実施した。これはこれまでの手締役に代わって下元方を置き、下元方の自主性を尊重した改正措置であった。その通達者の要点は、左のとおりである。
(一) 下松町肥前屋吉左衛門・古屋忠左衛門・河村屋勝助に、会所下元方を命ずる。
(二) 右三人任命の理由は、会所貸付金の増大によって、会所運営に支障が生じたことによる。
(三) 米売買についての税金は、米一〇〇石について札銀一匁とする。
(四) 下元方の運上銀は一カ年金一二両、年に二度に分け先納のこと。
(五) 会所の諸費用一切は下元方の負担とする。
 右の措置によって、米穀会所の性格が大きくかわることになった。これまでは徳山藩府の指導権が強く働いていたのであるが、これからは下元方の運営・経営権が強化され、自主的な運営が可能となった。これまでの手締役は、出張役人の指示に従うという規定があったが、下元役にはそのような規制はない。この改正の要点は、つぎの二点となろう。
(一) 下元方を置き、この者に運営を全面的に委任したこと。藩府の指導によって運営されている限りは、欠損が生じた場合の責任は藩方にある。そこで完全な民営化を実施し、藩の指導責任を回避したこと。
(二) これまでのように、商いの利益高にかける運上金制度を改め、税を二本立てにしたことである。一つは取引き高に対する一率課税であり、いま一つは下元方に対する一定運上金課税である。これは一種の下元株に対する課税であった。しかし、これを上納する限りそれ以上の利益を手にすることができるため、下元方は自分たちの責任において売買を拡大することができ、事業が活性化したと考えられる。

会所下元方任命書