一八四一年(天保十二)五月、町内の中村新蔵の母が、「下松穀物会所は穀物代金を支払ってくれない」と徳山藩府へ直接訴え出る事件が起きた。これに関する藩府通達の要点は左のとおりである。
(一) 下松町中村新蔵の母が、「下松穀物会所は穀物を売買して利益があったにもかかわらず、その代金を支払ってくれない」と訴え出た。
(二) 調査したところ下松会所方に手落ちがあり、負債代金は少しずつ支払われている。
(三) このようなことは直訴するほどの事件ではない。
(四) 中村新蔵は問屋株を売払っているが、これは禁止事項にふれることである。
(五) 訴え出た利益金についても、これはすべて会所が訴人へ支払うという性質のものではない。
(六) 新蔵が問屋株を売却したことについて、生計の困難を申立てているが、これは平素遊惰のためである。
(七) したがって同人とその母に居町退(下松町から追放)を命ずる。
右のことから、下松会所に出入していた中村新蔵が生活に困り問屋株を売ったこと、また会所が同人に支払うべき性質の金に残金があったことが分る。そこで、生活に困った同人の母親が、ついにたまりかねて徳山藩府に直訴したのである。しかし直訴したことの罪は重く、同人と母親は下松町から追放処分となった。
この事件から、下松穀物売買会所に出入りしていた中村新蔵の経営する問屋が、不景気であったことが分かる。米穀会所発展のため、町の活性化と会所の機構改革が実施されたが、穀物会所の経営は退潮の一途であった。