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御立山の百姓預け

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 徳山藩府直轄の御立山で生長している松本は、藩の大切な財源であった。したがって、その管理については山方が見廻りをしているものの、それだけではたりないこともあった。そこで手入不充分な松林は百姓に依託し、管理をまかせる措置をとった。つぎの文書は、そのことを示している。
   覚書
                          東豊井村寺迫組 勇吉
右の者に、一町三反の松林を預けることにする。それは、東豊井村の寺迫にある御立山の松を伐採しようとしたところ、成育が悪く伐採ができなかった。そのため松林を預けることにするが、その条件は左のとおりである。
一松木が成長したなら、御役人が検視して伐採する。その代金の二歩方を渡す。
一松を手入する代償として、下草や落葉小枝などは勝手に取ってよい。しかし御定めどおり、御運上として銀十七匁を毎年十二月廿五日まで地御山方までに納めるようにせよ。
一枝葉を取って持ち運ぶときは、庄屋の証明をもらって行うこと。
一松立ては、一畝に四〇本の割合である。もし欠けているようなら、補っておくこと。最後までこの割合で手入れをするようにせよ。
一風や雷で枝が折れたり枯れたりしたときは、早く地御山方まで届出てその差図を受けること。
一地御山方の差図に従わないことが万一にもあったら、預けている地面を取上げることにする。
右のとおり定めたからには、入念に松木が成長するよう手入れをせよ。
右のとおり心得るようにと沙汰する。
 天保十二年十二月六日               御蔵本
     御代官所                   (「大令録」六九)
 右の沙汰書から判明することは、藩府が東豊井村の勇吉に、松林一町三反を預けてその生育管理を依頼したことである。依頼の条件は六条ほどあり、そのなかでとくに重要なことは次の三条であろう。
(一) 成長して伐採した時には、売払い代金の二割を支払う。
(二) 下草・落葉・小枝の代金として銀一七匁を上納する。
(三) 一畝四〇本の松木を、成長するまで育てること。
 この条件が厳しいものであったかどうか、よくは分からない。しかし、希望者があり、委任されていることから考えると、この条件はさほど厳しいものではなく、採算がとれるものであったのであろう。なかでも下草・落葉・小枝の代金として、銀一七匁を上納しても、この松林を預り管理するということは、飼料や肥料、さらに燃料が近くで入手できるということで、農民にとってかなり魅力がある事業であったのではなかろうか。