この天保時代(一八三〇年~四三年)になると、一般農民の間にも賭博が流行するようになる。四九年(天保十三)二月、東豊井村では代吉など一七名の者が賭博の罪で検挙されている。
代吉たち一七名が、どのような家業に従事していたかは定かではない。しかし、東豊井村のごく普通の農民であったのではないかと考えられることから、この当時賭博行為はかなり普及していたのであろう。賭博の種類は史料に書かれていないので不明であるが、サイコロ賭博とみられる。検挙者一七名のなかに、あるいは博徒と関係をもった半専門的な者が含まれていることもありうる。当時の記録には、このように賭博で検挙された者の名前が出てくるが、すべて下松町と両豊井村の者で、奥方村の者の名前は見当たらない。このことは、奥方の村の農民は貧しく、賭けごとで遊ぶ余裕がなかったためであろう。