下松町においては、多種の商人が営業していた。酢造商人もそのなかの一つであるが、一八四四年(天保十五)十二月彼らは株仲間を結成するため徳山藩府へ願書を提出し、大意つぎのような許可をえている。
(一) 下松町の吉屋与右衛門・渡部屋市五郎・登茂屋伝兵衛の三人は、前々から酢造りをし小売りをしていた。
(二) かねてから、三人は下松で酢造りの株仲間の免許をえたいと考えていた。
(三) そこで話し合い、運上銀として毎年銀二枚を上納するとのことであり、願い通り許可することとする。
右の許可書から、与右衛門・市五郎・伝兵衛の三人が話し合い、下松町における酢造りを独占するため、株仲間を結成したことが分かる。三人はその見返りとして、藩府へ銀二枚上納することを申し出て許可されている。農村部においては、酢造は自家製造であったろうが、下松町においては、酢製造は将来性のある業種であったと考えられる。