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大藤谷村の免下げ

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 大藤谷村もまた、市域内では奥深い山村の一つで、先に述べた温見村の東隣に当たる村であった。この村の庄屋へ対し、一八四五年(弘化二)十月徳山藩府から大意つぎのような通達書が大藤谷村庄屋田村勘兵衛へあて出されている。
(一) 大藤谷村において不熟田の検見を実施した。
(二) その結果天保十三年(一八四二)から昨年(弘化二)(一八四四)まで三カ年間、貢租率を特例として一割九分とした。
(三) 今年も寒気が強く天候不順のため、庄屋から貢租率引下げ期限をさらに五カ年延長してほしいという請願があった。
(四) 藩府で調査検討の結果、請願を受理し三カ年の延長を認める。
(五) そこで、同村不熟田高一五〇石地については、貢租率を一割九分とする。
(六) 延長期間中どのような凶作や被害が生じても、右の貢租率を減額することはしない。
(七) 延長年限終了後は、貢租率は元に復する。
 右の通達から、大藤谷村に不熟田が多く、藩府の特別の計らいで当初減免措置が三カ年実施されたことが分かる。これというのも、大藤谷村の田地は山奥の高地の棚田であり、水利の便が悪く瘦地であったからであろう。特別減免期間の終了年である一八四五年、またこの年は寒気が強くて不作であった。そのための庄屋田村勘兵衛は、この先五カ年の減免期間延長を願い出た。しかし藩府は五カ年を認めず、減免期を三カ年に短縮する決定を下し、そのことを右のように通達したのである。きっと、大藤谷村の難渋はこの後も続いたことであろう。
 この通達のなかで注目すべきことは、恩恵的特例としての減免期間中は、たとえどのようなことがあっても、それ以上の減免は行われないことである。かりに大藤谷村で米収皆無の凶作であっても、一割九分の貢租(一一石四斗)は納入しなければならなかったのである。

現在の大藤谷地区