本藩では一七七九年(安永八)から戸籍帳が作成されたが、徳山藩では一八四九年(嘉永二)七月になって、ようやく戸籍帳が作成されることになった。このとき出された法令には、大要つぎのように書かれていた。
(一) 領内人民撫育の基本は、領民の戸数・人数を把握することである。
(二) このため文政五年(一八二二)から宗門改めを行い、人別帳を作成した。
(三) しかし、今年から庶民生活向上のため、戸籍帳作成を命ずるので、定められた事項をもれなく記入すること。
右の法令によって、戸籍帳の作成が実施されることになった。しかし、この戸籍帳作成に先立ち、一八二二年からは、徳山藩でもかなり厳重な宗門人別帳が毎年作成されていたことが、法令の内容から分かる。しかし、宗門人別帳では記載事項があまりにも簡単で、本藩の戸籍帳と比較した時不備な点が多かった。そのため、この時点で本藩の戸籍帳制度を導入したとみられる。
右の法令の公布と同時に、「戸籍例書下書」という記入事項を記した雛形を配布した。これをみると、徳山藩の戸籍帳の様式は本藩とまったく同様であった(前節、戸籍帳の作成参照)。