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牛痘の接種

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 天然痘は、江戸時代において幾度も流行した恐るべき流行病であった。この病気の予防は、牛痘というワクチンを接種することによって完全に防止することができた。この牛痘種は、長崎からわが国に輸入され、一八五二年(嘉永三)二月、徳山藩でも広く一般に接種された。このとき、左のような通達が藩府から出されている。
(一) 牛痘引種のことは、長崎から本藩萩へ伝来した。
(二) 牛痘を身体へ植え付ければ、痘瘡にかかることはない。
(三) そこで医師を萩へ派遣して種痘を学ばせたが、その医師は長沢泰順・松岡洪芙・浅田文厚の三人である。
(四) 家来中から百姓まで、三名の医師へ申し出て、接種の日限切符を受領するようにせよ。
 右の通達から、牛痘接種の方法は長崎から萩本藩の医師に伝えられ、さらに徳山藩の種痘方医師三名に伝えられたことが分かる。そうして、この三名の医師の手によって、藩民の希望者全部が、徳山御客屋で接種を受けることになった。この接種についての料金の規定は見当たらないので、接種費用は公費負担であったのではなかろうか。

牛痘引種の通達