(一) 牛痘引種のことは、長崎から本藩萩へ伝来した。
(二) 牛痘を身体へ植え付ければ、痘瘡にかかることはない。
(三) そこで医師を萩へ派遣して種痘を学ばせたが、その医師は長沢泰順・松岡洪芙・浅田文厚の三人である。
(四) 家来中から百姓まで、三名の医師へ申し出て、接種の日限切符を受領するようにせよ。
右の通達から、牛痘接種の方法は長崎から萩本藩の医師に伝えられ、さらに徳山藩の種痘方医師三名に伝えられたことが分かる。そうして、この三名の医師の手によって、藩民の希望者全部が、徳山御客屋で接種を受けることになった。この接種についての料金の規定は見当たらないので、接種費用は公費負担であったのではなかろうか。
牛痘引種の通達