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郡区町村編成法後の分離統合

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 郡区町村編成法後、各村の分離統合がみられた。一八八三年(明治十六)一月一日の各村の戸長役場の位置と戸長名は表11のとおりである。末武下村と平田村から笠戸島が独立し、山田村・切山村・生野屋村は連合を解き分立した。同年の県布達で切山村・山田村・生野屋村は切山村・山田村・来巻村・河内村の統合とされて河内村外三カ村となり、戸長役場を河内村字久保市に設けた。末武上村・末武中村は生野屋村を統合し、末武上村外二カ村戸長役場を末武上村字花岡に設けた(「郡区役所戸長役場廃設分合」山口県文書館蔵)。
表11 戸長役場位置と戸長名
(1893年1月1日)
村 名戸長役場
位 置
戸長名
温見村温見村  
   字道谷
田村誠治
大藤谷村
瀬戸村字後山内藤惣橘
末武上村字上市野村文四郎
末武中村字西河原小林秀治
末武下村末武下村  
   字平田
田村定平
平田村
笠戸島字深浦末田弥助
西豊井村字本町弘中七郎太
東豊井村字中豊井鬼武菊之助
河内村字中戸原磯部清太郎
来巻村字友貞宮田嘉作
山田村字浴条今田誠治
切山村字中郷内山完治
生野屋村字時政弘中繁治
「郡区役所戸長役場廃設分合」(山口県文書館蔵)による

 翌一八八四年、末武下村・平田村・笠戸島は末武下村外一カ村一カ島戸長役場を設けた。温見村・大藤谷村は瀬戸村・下谷村を統合して下谷村外三カ村戸長役場を下谷村字下下谷に置いた。県は数カ村統合の場合は地租金の多い村名をとる方針であった。温見村と大藤谷村は八三年五月に統合して「大見村」とする意見書を県へ提出したが否決され、瀬戸村と下谷村を加えた四カ村統合とされ、一時、米川組と称したが、地租の最も多い下谷村の名をとり下谷村外三カ村として字下下谷に戸長役場を設置した。
 東西豊井村は郡区町村編成法により東西に分立したが、八三年統合して一時豊井組と称した。のち豊井村と改称し、西豊井村字下松町に戸長役場を置いた。だが八五年また東西に分立した(『大下松大観』)。